大腸内視鏡検査のドクターから(ほぼ)告知されてから、もちろん最初はしっかり落ち込んだ。あそこまで言われたのだから、準備をしなければと、仕事や私が管理している家のお金の引き継ぎ方法を書き出すことから、使っていないアカウントの削除、ジムの解約(※)、断捨離、万一の時の事務処理リストまで作った。
今考えると、これはこれで現実から目を背けていたのかもしれない。

(※治療が始まったらジムには行けなくなると決めつけていた。「抗がん剤治療は辛く苦しいもの」という勉強不足から来る思い込みだ。実際は全然元気なものだからすぐ契約し直し、未だに週3で通っている。)

また、病気がわかる前から、次男の米大学進学を機に私と夫だけ日本に本帰国することを考え始めていたが、今回のことでほぼ決めたので(以前は本帰国を拒否していた夫も、さすがに了承)、断捨離は引越準備という意味もあった。





 

諦め(逃げ?)の気持ちから次第に切り替わっていったのは、やはり家族、親姉妹、友人たちのおかげ。みんな、最初はもちろんショックを受けていたが、口を揃えて大丈夫大丈夫と言ってくれた。
母は告知の後、日本から文字通り飛んできてくれて、毎日沢山話して、出掛けて、大笑いし合った。姉たちも友人たちも前回書いた通り、全面的に私のがん克服を信じて応援してくれた。また、姉が「予言の自己成就」という言葉を教えてくれた。自分を信じて成功を予言することで、人は成功するのだそう。

病気の情報や治療情報は、私は最初、玉石混交のネットで調べ過ぎて疲弊してしまっていた。夫には「ネネは悪い情報をかき集めてる気がする」と諌められた。確かにいい情報に期待する気持ちがありながら、希望を持つのが怖くて、悪い情報を重視しなければと思っていた。

でも所詮ネットの情報。
送ってもらったがん治療情報誌や新聞記事などを読んでいると、ちゃんとした出版社から出ている、出処のしっかりした正しい情報からいかにきちんと勉強するかが大事だということも改めて知った。
自分でもいくつか買って読み(電子書籍になっているのでアメリカでも購入可能)、がんという病気や治療法を知れば知るほど、怖くなくなっていった。立ち向かう方法はいくらでもあるんじゃない、と。闇雲に恐れているのが一番時間の無駄なのだ。

 

そして、日本の病院の先生。本帰国後の転院先として目星をつけていた病院のウェブサイトに、相談窓口があったので相談したら、有名な大病院であるにも関わらず数時間でとても丁寧な返事をいただけた。

私の診察をしていないので相談内容の病状に対する一般論としながら、Aの場合はBをします、そうでなければCをしてDに進みます、など具体的な治療法を説明してくださり、最後に「「何をしても5年は絶対に生きられない」と断定はできないと思います。」と書いてくださった。(ドクターAにそう言われたが、と私が相談したのだ。)

また、ネットで見つけた、某腫瘍内科クリニック院長が書いたコラム「癌(がん)の末期から生還する人は少なくない!」にも、気持ちがとても助けられた。がんは免疫システムと密接に関わる病気であり、余命は自分で作り出すものである、と。そして、がんと共存していくことにも意味がある、と。

私は医師にこういうことを言ってほしかったのだ。

 

 

人はいつ死ぬかなんて誰も分からない。明日かもしれないし30年後かもしれない。
少なくとも、今私はとても元気。そういう意味では私が持っているカードは告知前と何も変わっていない。誰も明日のことなんて分からない。いつどんな理由で寿命が尽きるかなんて、誰も知らない。
そんなことより一日一日が人生なのだから、今この瞬間を幸せに過ごすことが大事。

 

 

昨日は去った、明日はまだ来ない。僕にあるのはこの1日だけ。だから僕はハッピーに過ごす。 〜グルーチョ・マルクス(コメディアン)
Yesterday is dead, tomorrow hasn’t arrived yet. I have just one day, and I’m going to be happy in it. 〜Groucho Marx

 

 

この気持ちをこの先もずっと持ち続けられると、自分を信じるしかない。

 

 

 

♫  おまけの写真コーナー  ♫

3月末にはHoliというヒンドゥー教のお祭りがあります。

色の付いた粉を掛け合う(全くの他人にも)ので、最後にはみんな、全身虹色になります。