夢を目指し、仕事にすることの難しさ | 関西の人の備忘録

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夢と現実のはじまり

転職活動をしていて、まさかこんなことになるとは…。去年11月から、今現在、私の身に起こった話しを書こうと思う。

 

私はプログラマーになりたくて、10年間(2013年~2023年)、独学で勉強してきた。独学という道を選んだのは、専門学校に高額な授業料を払いたくなかったため。私が今までに専門学校に実際に入学したことや、専門学校の知り合いがいるわけではない。ただただ、授業料をケチって入学しなかった。あと、私自身の実力があれば2、3年でなんとかなるだろう、と思っていた。そのため、どういう手順でプログラムを組めばよいか?などは、全て自分自身で手探り。なにを勉強しなくてはいけなくて、どんなサービスを使えばよいのか。全てを把握するのに10年かかった。今なら言える。独学でプログラマーを目指すものではない。必要な知識と技術が多すぎる。さっさと専門学校に入って、一番早い手順を教えてもらった方が良いだろう。

2023年11月。合計で10年かけた知識と技術。それらを使って半年かけて、ひとつのアプリを作成した。このアプリをポートフォリオ(私自身の実力を見せる作品)として就職活動を開始。就職活動を始めて2週間程度で、ソフトウェア開発会社に内定をもらった。私自身はこの就職活動は1年くらいはかかるんだろうな、思っていた。内定をもらった会社の規模は、社員数7人だったので、不安はあった。この人数で本当に仕事は回っているのか?毎週のように、休日出勤ではないのか?などなど。しかし、こんな私に内定を出してくれた会社だ。そのあたりも受け入れて頑張ろう!と決心したのが、内定をもらって5日後のことである。今思えば、この不安は、後に見事、大当たりするのである。

 

2023年12月上旬。前職の会社には、有給休暇と引き継ぎ作業をするため、2024年1月半ばに辞めることになった。このことを、内定をもらった会社に報告し、了承を得た。了承を得たため、私は今後に不安を思うことなく、過ごしていた。むしろ、やっとプログラマーとして働くことが出来る!と、期待とワクワク感でいっぱいであった。

不安が現実になる瞬間

2024年1月半ば。前職の会社を退社。とうとうプログラマーとして働けるときがやってきた。しかし、問題はここから始まる。内定をもらった会社から連絡が来る。「出向先が見つからない」。???は???私の頭の上には?マークばかりが浮かんでいた。1ヶ月以上前から連絡していたはずなんだが。前職の会社を退社してから、働く場所がないってどういうこと?会社に入社も何もしないまま、自宅待機。入社していないので、当然、国民健康保険、国民年金は全て自腹で払うことになった。というか、私自身、個人で払っておいてくれと、内定をもらった会社から指示が出されたのだ。去年の11月に不安に思っていたのが、すぐに表れた形だ。失敗したこの時、去年の11月の就職活動をしている時に、時間を戻してくれ!と何度も思ったのを記憶している。

 

2024年2月1週目。毎日が絶望でしかない日々。何をしたらいいのか、わからない。このまま自宅待機でいいのか。新たに就職活動を始めるべきなのか。今まで、10年間勉強してきたことは、なんだったのか。そんなことを考える毎日。こんなことばかり考えている私自身が恥ずかしい。恥ずかしくて、周りの人たちにも、この心境をあまり話せない。こんな状態の中、内定をもらっていた会社から連絡があった。「週末に再度、連絡します。」この連絡があったため、少し安心してしまった。が!すぐにこの安心は不安に変わる。週末になっても一切、連絡がこない。次の週、そのまた次の週になっても連絡がない。私はこの時、内定をもらった会社に、一瞬でも安心したことを後悔した。この会社は、全く信用できない。今、私に行われていることも、何かしらの法律に触れている気がする。内定をだしておいて、その人に入社もさせない。仕事もさせない。連絡もしてこない。社会保険も自腹って。40年近く生きてきて、こんなことをされたのは初めて。何が正しくて、何が悪いのか。もう何もかも、わけがわからなくなっていた。

絶望の1ヶ月半

絶望の日々を送っていたのだが、何か動いておかないと!と思い、2024年2月の2週目から、少しずつ就職活動を再開していた。内定をもらっていた会社は一切信用できない!と、思ったからだ。2月いっぱいはとりあえず、プログラマーで仕事を探してみることにした。こんな私でも面接をしてくれるソフトウェア開発会社が、何社かあった。面接官の人に、私の現状を伝えると、みんな口を揃えて言う。「その状況はおかしい。自宅待機なら基本給として20万円は出す。働けばその上に技術料を払う。」と。そりゃそうだ。私の前提知識でも、自宅待機状態になったとしてもお給料は出るもの、という認識だ。もう、内定をもらった会社のことは、どうでもよくなっていたため、私の現状を家族、親戚、友達、ハローワーク等、で聞いてみることにした。みんな、内定をもらった会社に否定的な意見しかなかった。私の今の状況はおかしいと、はっきりわかった瞬間であった。今の私自身の状況は、恥ずかしいと思っていたのだが、色々な人に話すことによって、恥ずかしいという考えはなくなっていったのであった。

2月から就職活動をし、面接官の人と話してわかったことが、3つある。1つ目はプログラマーへの応募が多すぎること。採用枠1名に対して、100名以上応募がある。2つ目、採用される人間は、ITの資格を多く持った者ということ。これは採用した人を出向させるためのアピールに使うもの。うちのエンジニアはこんなにも資格を持ってますよ!ぜひ、使ってください!みたいな感じ。アプリを作れたり、ソフトウェア開発が出来てなくも良い。資格を持っていれば良いのである。そりゃアプリも開発できれば良いのだが、アプリを実際に開発できるのは少数派である。3つ目は、専門学校卒・大学卒・高学歴を優先して採用すること。これはどこの会社でも同じであるが、私は専門学校卒でもないし、高学歴でもない。ただの工業高校卒である。

夢を諦め、次へのステップアップ

以上のことにより、2024年2月いっぱいでプログラマーを仕事にするという、私の夢は諦めることにした。諦めようとしていた2月末、内定をもらっていた会社から連絡があった。「出向先が見つかった。明日、出向先で面接してもらって、あさって(3月1日)から出向先に働きに言ってくれ。」と言ってきたのである。そんな急遽なスケジュールはいったい何っ!?嫌です。絶対に嫌。面接もなにも、あなたの会社に入社した覚えもない。その後、連絡してくるメールが、私にどんどん優しくなってくる。最初は、日時と時間を指定されていた。しばらくすると、私に時間を指定してもらって良い。最後は、現地に行かなくてよい、Webカメラによるオンライン面接で良い。私の携帯電話に何回も電話がかかってくる。なにがなんでも面接をさせたいのだろう。今まで絶望の日々を、あじあわされて、なぜ、あなたたちの会社で働かなくてはいけないのか。私が働いたお金がなぜ、あなたたちの会社の口座に入るのか。私には意味が理解できなかった。私は内定辞退のメールを送信した。

 

やっと、内定をだしていた会社が謝ってきた。私が、絶望の日々を送ってきた期間、一切謝ってはこなかったのに。ことの重大さにようやく気づいたようだ。今さら気づかれても、もう遅い。私は、あなたの会社を、一切、信用も信頼もしていない。同時に、プログラマーになることも諦めました。

2024年3月末。やっと気持ちが落ち着いてきた。去年の11月から現在までに、私自身に起こってきたことを、思い返せる時になってきのでこのブログを書いている。現在はプログラマー以外の仕事で、転職活動を行っている。なんだろうな。私には理解できない会社がまだまだあるんだなと、この半年を思い返して、感じたのであった。