前回より続き)



例の音楽事務所に所属してた期間は約1年。


神はちゃんと見ていたのか?

私がズブズブと沼に浸かる寸前には、気づくと足は救い出されていた。



〜もう時効か?

事務所代表・T社長はもともと一部の所属ミュージシャンを駒にし、各音楽系サイトやSNSで私を釣り上げたように、表向き「新人発掘オーディション」「巨大ショッピング・モールでのイベント出演」などと称しダシにし、調子の良いDMを送り、素人や無所属アマチュア・シンガーソングライターなど甘い言葉で募り、巧みに洗脳しては高額な契約取引を行なっていたのである。

高額といえど中古車程だが、一件の契約でも決して小さくはない。

私にも「この方法で人を集めるように」と声をかけられた。

またやり口がいやらしく、
「キミはなかなか成果(集客)出せてないね。
今回事務所への貢献度によっては、もろもろ贔屓してあげてもいいよ。」


との餌が出されたのだ。


このマルチまがい事務所の主な収入源は…
ライブや音源の売り上げで、あるわけが無い。


そう、新規所属者の登録費・契約金のみ!



それを手伝うということは、

つまり詐欺の加担だ。

奇しくもライブ・チケットと同じ割合システムを採用し、確か1件あたり50万の20%バックをちらつかせた。


待て待て。自分のライブチケットすら売れず、客集められない現状。。

しかしとりあえず事務所内ではレコーディング順番待ちの状態。。

「贔屓…てことは、レコーディング早くやらせてもらえるかも!金ももらえるし」


まさにT社長の思惑通り私は動いた…


「…いや待てよ、何やってんだ俺。。罪悪感とか無いの?」


そんな一縷の正義感がブレーキかけてるようなテンションだったためか…何人かとDMしたり話したり、社長に会わせたりしたが

結果私は誰ひとり契約させることはできなかった。


新たな被害者を出すことはしなかった!


金銭的なやりとりは発生しなかったという点では誰ひとり騙してはいない。


もし誰かを所属させてしまい、10万円バックを受け取り、更にご褒美に優先的にレコーディングしていたとしたら…

こんな姑息で卑怯で醜くダサいやり方は無い!

罪、恥…

もう音楽なんて二度としないと誓っていただろう!
この時の自分を生涯許さなかっただろう!

事実、この手を心を一瞬でも黒く染めてしまった!


〜目を覚ましてくれたのは、音楽そのものでもなければ、日常や世間への憎しみやハングリー精神といったものでもなく、むしろそれらとは相反する「悟り、諦めの境地」であった。


年明けには現・妻から受けた、散々引き摺り回した大失恋の傷も流石に軽くなり、兄の娘つまり姪が誕生したこともあり、心の奥底から久しぶりに「浄化」された。


私は憑き物が取れたようにこの所属事務所・Hからの退会・除名をT社長に願い出た。


どうせ債務不履行・違約金発生などのペナルティと称し、どこまで巻き上げられるだろう?と少し恐々としたが、「了解です」との返信メールのみにて約1年に渡る呪縛と幻想から逃れられたのだった。


実際、夢を見れた。


現実も直視できる機会だった。


B'zでおなじみ明石昌夫氏の前でライブやったりラファエルのユキト氏と話せた。

レコーディングは、しないで良かった。

Tのグルのプロデューサーに面接も兼ねて遠くまで足を運び、デモを持ち込んだは良いが

「えー、(候補曲)多いよ。僕が選ぶの?いや作るのは僕でしょ?

あー、じゃあライブやって、反応良かった曲を絞ってきてよ。そうしよう、じゃあ。」と


…は?

見るからに売る気ゼロ、やっつけ編曲するだけが見え見えの偉そうな男だった。

他の所属者で何人か音源を制作していたが、流通させていたのは1人か2人くらいしか記憶に無い。


つまり、彼はただのアレンジャー。

近所の音楽スタジオでパック料金払えば誰だってできるようなものを無垢・無知が故に見抜けなかった!

今頃は仕事激減とAI台頭に怯えながら、おそらくTと一緒にぶち込まれていた時のような臭いメシすら食えていないに決まってる!


レーベル大手、ビーイングの関係者からも多くのことを学んだ。

集客戦略だけじゃなく、もっともっと曲を、アレンジを、コード進行を…「詩」を

売れるものにするためにと、何度か添削してくれた。

模倣を侮るなかれ!モノマネだって立派なセルフプロデュース!などといろいろな課題が出され、音楽講師以上の核心ついた助言も頂いた。


もしかしたら、搾取されたと思った額はそれ相応で充分モトは取り戻せるし、本当はやりようによっては価値を上げることができたものだったかもしれない。


当時の私にそんな余裕がなかったから、あー搾取された〜とネガティブな感情でいたから、、何事も損得だけで楽しめず…という、いつまでもその負のスパイラルに居てしまったのだろう。


そこから抜け出せた時には、気づけば32歳の年齢に達していた。


音楽も、仕事も、、

なんかもう疲れた、ある意味達観してしまった気がしていた。



もう自然に、やりたいように…と

転職や音楽活動をマイペースに進めようとしたが、緩んだ隙に欲望の魔の手は容赦なく入り込んだ。



〜あるライブに友人を誘ったときだ。


その見返りとして

その彼から「あるビジネスの話」を聞くという運びとなった。


…この回顧ブログではそんなもの、もはや既視感と危険な匂いしか想起しないだろう



ちなみにその友人とは、宗教法人・Sで知り合った仲だ。


はい、確定。


どちらが先だったか覚えてないが、約束通り私は渋谷の本社ビルの食堂のようなスペースで友人とその紹介者だという初対面の女性に囲まれ、やたらアゲられ、一枚のA4紙に饒舌な解説と共に描かれた数字と人間のピラミッド図を見せられた。


またかと、危険な既視感を感じたが、まだ懲りずに「友情を無碍にできない」と、また痛い目に遭うこと承知で流れに身を任せてみたのであった



続く)