前回より続き)
その毎年恒例の催し物の大舞台は、実に興味がそそられるものだった。
著名な俳優やミュージシャンもその法人に入信していたようだった。
かなりメジャーな方もいた。
町中華屋が舞台で、全国ネットで嫁姑が罵り合うサマを大河ドラマ以上のシーズンで繰り広げる、もはや刃では滅することのできない人間模様を描いた作品の主役級の方。。
享年出演された舞台の名は
「死花」
…デッドフラワー!?
そして最近TVでもよく観る、綺麗でスタイルの良くて、たまに関西弁になる女性も…
もうこれ以上は言うまい。
…みつめてキャッツ泪!
さらに、国民的少女アニメの実写ドラマに敵役で出られていたイケメン枠俳優。
残念ながらこの方は数人年前、自◯が業界で立て続けにあった時期に、同じく名を連ねてしまっていた。
…クンツァイト!
別支部の会場には、イカ天世代なら泣いて喜ぶパンク・ロックバンドのギタリストもいた。
一度お会いする機会をいただいた。
腰が低いがでかい方だった。
数年後、再結成で武道館!
よろしゅうござんした!
…歩いて行こう!!
〜ameba様へ
警告BAN共に覚悟承知の上ですが、私のような小物の記事内容、なんの社会的影響もございやせん事はご存じであられましょう。
これからも変わらぬサービスご提供のほどよろしくお願い致します。
(続き
…音響スタッフ?
依頼されたが
うーむ。どうしよ、、
「ていうか、劇出ればいいじゃん!
いけるよぉ!」
紹介者のユウコは、もちろん私がズブズブに関わる方向に話をすすめる。
実際に毎年音響スタッフでミキサーからサントラ作成まで担っているという元バンドマンのキーボーディストとも知り合えた。
劇中歌とフラッシュ・モブ的なダンス、そして芝居…ミュージカルのようなものらしい。
信者内で募集がかけられ、オーディションがあるという。
田口さんからいろいろ学びたい気持ちもあった。
作曲や制作もそうだが一応、私は大学の軽音サークルで、ライブ音響の知識は少しはあった。
ミキシング・コンソールという各楽器の音量や音質を調整するのだ。
しかしホールの演劇など未知だし、所詮は裏型作業。。
おそらくまずやらされるのは地味な機材搬送など重労働だろう…と、容易に想像できた。
目立ちたがりの私は
「確かにどうせなら華やかな演者側のほうが良いかな。バンドの、ひいては自分のアピールにもなるし」
と、またもユウコに言われるがままオーディションを受ける。
ボーカルもバンドでの経験はあるし、その辺の有象無象よりエンターテイナーとしての自信もあった。
課題曲は基本その法人のオリジナル・ソングとのこと。
「ロック調の曲ありますか?」
と会場内の売店の人に勧められてたのが…
なんと我が国が誇る某・少年誌のバトル・アニメでおなじみの方が歌われる曲だった!
その方が信者かどうか不明だがそんなことはCHARAヘッチャラ…
我が幼少期の熱きハートはコスモとともに燃焼し始めた!
確か歌の部門は男女1人ずつという狭き門だったが、落ちたら落ちたで脱会すればいいだけの話だった。
…そんなに甘くは無かったし、上手く行く話では無かった。。
結果発表〜
実行委員から下された用紙には
「歌謡部門:落選」
…
「…あ、はい。じゃ、どうも。」
「あ、待ってください!
あの、歌ではなく、芝居で出ませんか?
ミュージシャン役なんですが」
…ほう、そうきたか。
だいたい脚本も知らなかった!
どうやら毎度、制作経験のある上位信者の女性が執筆する堅苦しい説教じみたストーリーで、その劇中歌は歴代爽やかな演歌や歌謡曲、デュエット・ソングばかりだという前情報を知らずに臨んでいた。
ヤー、ムチャするもんじゃないなぁ
しかし、向こうもそこまでして新規信者を引き止めたいか?
もしかしたらユウコが事情を通告したのかもしれない…
とにかく無理矢理な展開にみえた。
ミュージシャン役といってもチョイ役もいいところ。
ほか、NST出のお笑い芸人志望の男もそのまま「お笑い芸人」役となった。
公園でそれぞれ数分、自由な演技を主役たちに披露するという、とってつけたかのようなシーンだった。
数分か…と悩んだが、結局断れなかった。
そして私は24歳にして役者デビューを飾るのであった。
〜一方デッドフラワーズも、まだまだ試行錯誤段階で刺激的ではあったが、ロシアンルーレットと違い理想を追っていたわけでは無かったので、常に失敗の繰り返しやサウンドや技術での限界などで感じるストレスと隣り合わせだった。
そして、やはりベースの樋山のミュージシャン・シップの欠乏に田口も苛ついていた。
「言われたことしかやらない」「やっつけ仕事」と言われても仕方ない。厳しいが…
田口も扱いに困っていた。
しかしギター&ボーカルとして新たな味をしめ、創作意欲が湧いてきた田口は、ある日私とサシで話した際
「デッドフラワーズから樋山をクビにするつもりだ。
でもロシアンルーレットは、ベースは樋山にやらせる」
…私はこの時から少し田口の考えややり方に疑問を抱き始めた。
70〜80年代のアメリカン・ハードロックをベースにブリティッシュ・パンクやメタルの要素を入れ、尚且つメロディーが歌謡曲的なキャッチーさを合わせ持つZIGGYのような理想を掲げていたのが「Russian Roulette(ロシアンルーレット)」だ。
田口と樋山で始動させたのだし、情や絆を大事にしたいのは理解できる。
しかし樋山をミュージシャンとして見限ったのだから、デッドフラワーズから外すのだろう?
そんな樋山と本命のロシアンルーレットをやるの?
そもそもデッドフラワーズはロシアンルーレットと並行させるの?
そんな余裕ある?
…ていうか、なにをそんなにデッドフラワーズに見出している?
可能性?
そりゃ信じたいし、あるにこしたことはない。
しかしまだまだ始動したてのスタイルだ。
私もドラム&ボーカルなんて、必要性と経験のためでしかない。
やりたいロックのコンセプトはロシアンルーレット。
それ以上の展望やモチベーションは正直、デッドフラワーズには持て無かった。
とにかく田口はメイン・コンポーザー兼リーダーとしてレコーディングやブッキングなど、ほぼデッドフラワーズのために時間を割いており、ライブをするにつれ自信と経験がついた上での心境といったところだったのか。
私と樋山はその間、ロシアンルーレット時代の知り合いなどのライブに顔を出し、フライヤーを配ったりハコに貼ってもらうなどの宣伝やライブでの一曲ゲスト参加ボーカルを探し、依頼したりした。
だが、いまいち系統や毛色が違うのか…イベントの誘いなどはおろか、あまり輪を広げられなかった。
結局ロシアンルーレット時代のツテを辿るしかなく、高田馬場エリアで対バンしたヴィジュアル系バンドの前座など手段を選べない状況でもあった。
「次の次元、ステージ」のヴィジョンが定まりきれず、時間だけが過ぎ去る。
これではロシアンルーレットと同じ最後になってしまう。が…
田口はそれで良かったのだ。
彼はデッドフラワーズを純粋に続けたかったのだ。
策士の裏の顔は至って純粋無垢な音楽少年だった。
…しかし、私とてガキの使いじゃあるまい。
20代も後半に差し掛かろうとしていた時期、悠長に田口のスタンスに合わせてばかりも正直いられない。
樋山も段々と田口に盲信・盲目的になっていった。
本来の彼らしい底抜けに明るいキャラクターや憎めない純粋さが薄れていく気がした。
樋山は私的にドラマー目線から言うと、変なクセやこだわりがあるプレイヤーよりは、全然マシな合わせやすいベーシストだった。
しかし敬愛してる割にはエアロスミスのトム・ハミルトンのような味やテクニックも無く、モトリー・クルーのニッキー・シックスのようなイマジネーション力にも欠けていた。
田口から「リズム隊のサウンドをもっと固めてほしい」と要望され、リハーサル前1時間、2人で合わせるようになった。
それからバンドのスタジオの予約は樋山より移動時間が短いという理由で私が取ることになった。
バンドはだんだん田口のワンマンが進んでいく予感がしてならなかった。
ある日、樋山になんとなく愚痴ってみたが
「…あいつのやり方を信じよう。
あいつの言った通りやればいいんだよ」
という反応
…ダサ!
いいの、それで⁈
当時の私がいうのも何だが…
まるで藁をもすがる宗教信者!
…悪いけど、もう私は私でやる。
ロシアンルーレットのためにも自分のためにも、もっと広い展望で高いモチベーション保てるようセルフ・コントロールに努めた。
彼女と遊んだり、演劇に携わっていても、根本音楽やバンドのことを考えていた。
相変わらず私は日頃勤めていたクリニックの一部職員に冷たくされていた。
おそらく好きなことに夢中になっている私のことが気に入らなく憎たらしかったのだろう。
私は私で
「こんな小さな職場を和ませられもしないような男に人を惹きつけられる魅力はあるのか?」と常に悩んでいた。
それが、エネルギー源だったのだ。
素の自分で、ひとりでどれだけの人間力を周囲にもたらすことができるか。。
音楽の成功もそれに比例し相応する…
と信じてやまなかった。
私も少し、いや相当
宗教に入れ込んでいたのかもしれない。
続く)