新しい仕事は、内容はさほどの激務ではないが、やはり「これでバンド活動に集中できる」という舐めた怠慢さと彼女への深い傷心と、学習塾時代による後遺症つまり「労働アレルギー」が頻発し、比較的簡単な作業でも凡ミスをした。

心ここに在らずで、せっかく義父が昔のハード・ロックなどの話を振ってくれても、大した返しができず、退屈な時間をただ持て余してしまった。

受付嬢の後藤・恭子(仮)とも俗な会話ができなかったし、話題が合うわけない。
元々住む世界が違う人種だろうと、大した期待も何もしていなかったが

とはいえ、院長の叔母や義母には可愛がられ、パートの奥様方からもイジられたり、よくしてもらえた。
やはり私は年上キラーなのか?

ゴト・キョンは、私と同じフルタイム正社員扱いで、私の変人さに最初は面白がっていた様子だったが、のちに怠惰なクセにチヤホヤされる私に対し不満や不信が態度に出ては、あからさまな無言と無関心を示されてると気づいたときは、さすがに傷ついた。

失恋したばかりの元彼女と同い年、、
意識してしまうのは無理もなかった。


フカ・マキが私に冷たくするたび、彼女を思い出して苦しくなることがしばらく続いた。


気持ちは荒んで沈んで、軽く摂食障害に。

基本的に食べ物は受け付けず、体重は70kgを切った。
因みに私の身長は182cm…

まぁドラマーとしてはヒョロヒョロとした体型になってしまった。


それから自分の部屋に、ウィスキーやジンの瓶が常置された。

好きなバンドの曲も耳に入らない。

ふと涙が出る日もよくあった。


…鬱病?


だったかもしれない。


なんとか腐らないで過ごせたのは、職場の一部や家族が暖かかったことはもちろん、若さが多少のムリをさせていたのと「心が弱くなるのはダサい」というアンチ・太宰治的な見栄を引き出したことが理由と言えるだろう。
今でこそ尾崎豊など心酔しているし、儚さや脆さに美しさを見出していたのも事実だが、砕けて壊れても、才能や異性に救われる人間的甲斐性が、残念ながら私には備わっていなかった。


そしてやはり…


地獄までロックを持って行ってやるという気概、もはや執念が凌駕した。


しかし心が晴れるのは、ZIGGYのコピー・バンドのリハーサルの時だけだった。

ZIGGYのほとんどの曲は息をするようにドラムを叩けたし、ボーカルはよく対バンをしていた「ダーティー・スナフキンズ」の福山という上岡とはまた別のタイプだが、歌唱力と華のある実力者で、樋山は「そのままロシアンルーレットに引っ張って来てよ」と本気で言うほどの人物だった。

私も田口も、メインはロシアンルーレットだ。コピーで満足はしない。

もちろんメンバー募集・加入希望の張り紙やサイトでボーカルを探した。

数人と合わせはしたが、当然上岡を超える即戦力などそうはいなかった。

イタズラに時が過ぎ、3人で既存曲をカラオケ演奏し続けるだけの経済的・精神的ストレスは思った以上に苦痛だった。


「…あのさ、もう3人で、ロシアンルーレットとは別の形で、新しいバンドとしてやらないか?」

煮えを切らした田口が提案した。


私も樋山も、全くその発想は無くはなかったが、ロシアンルーレットのメイン・コンポーザーであり、リーダーである田口のことなので、何か策があってのことだろうと、私たちは耳を傾けた。


しかし、、
スリー・ピース・バンド?

…誰が歌うの?


策士・田口は、すでに練っていただろう計画と説得力そなえた理論を私たち2人に展開した。


「ただボーカル探すだけじゃなくてさ。
違うテイストのロックやることで音ももっと固まるし表現の幅が広がることは良いことだろ?

…で、ボーカルは俺が取ろうかと思う。

バンド名も考えてるんだ。
DEAD FLOWERS、どうかな?」


私としては、ロシアンルーレットの世界観をいちばんに表現したかったのだが、その時そんな精神状態ではあるはずはなかった。

「煌びやかでハデで、爆走ゴキゲンロックンロール」をできるわけがなかった。

ならば一度肩の力を抜いて新しいカタチで、私ができる「ロシアンルーレットには無いエッセンス」を入れて音を出すことは未知な分、楽しそうだった。


そして、、嬉しかった!


おそらく、私は寂しかったのだ。。

今まで通り、週末は田口や樋山といる事で少しでも前向きにならなければ、辛い現実に押し潰されそうだった。

ライブできるかできないかわからないけど、このままではロシアンルーレットどころかバンドやることも苦痛になってしまうという危機感や危険性もあり、数分後には田口の意見におおいに賛成していた。


もう後がない三十路だった樋山も、腹を括っていた。

彼としてはロシアンルーレット以外のロックをやることに不安や迷いはあったものの、やはりマルチ商売への洗脳未遂の件もあり、本来縁を切られても仕方ないはずなのに、むしろ手を差し伸べてくれた田口に、誠意を尽くそうという心境だったのだろう。

少なくとも「この時まで」は…


私は樋山の人柄は好きだったし、マルチの事もあまり気にしてなかった。
それより自分のメンタルを保つのに必死だった。

そしてクリニックの叔母と義母は、医療事務の予備校にも通わせてくれた。

公務員試験勉強、塾講師…

三度にわたり「テキストを開く」ことは、怖かった。

…しかし、何かやっていなければ、動いていなければ、気持ちを別の方向に向けなければ、失恋や仕事の悩みと将来の不安で滅入ってしまう。。


大学卒業しバンドでも仕事でも、、うまくいかなかった…


このまま腐ってしまうのか?


私は悔しかった!

私自身に対して!


私が、ロシアンルーレットが、何も残せず終わってたまるか!


医療事務?

DEAD FLOWERS?


やってやんよ!!


続く)