2005年初夏。

「みんなさ、これからの時間全部バンドだけの事を考えたり、動いても良いようになりたくない?
こないだの大塚レッド・ゾーンでのイベント企画からさ、いろいろ考えたんだけど…」


高田馬場エリアでのライブの日、ベーシストの樋山が本番前の楽屋で唐突に言い出した。

「なんかもっと、俺たちが客入れられるようにするには、どうしたらいいかって。
みんなは考えてる?
…ていうか、みんなバンドで有名になって、食って行きたいよね?」

「そりゃそうですよ。俺はZIGGYみたいになりたいです。武道館でやりたいです!」

一瞬変な空気になったところ、
末っ子の私が元気に答える。

反し長男のボーカル・上岡は

「…俺はメジャーとかは正直興味ないかな。
今くらいのハコでも良いし、本当に好きな音楽ができて、俺たちを本当に好きになってくれるお客さんが少しでもいればいいかな」

リーダー田口はほとんど黙っていた。

樋山は最初、突拍子もない口ぶりだったが彼なりにロシアンルーレットにとって今後動員など厳しい現実展開となることを分析しているのか、言葉の端々に「初回イベントでコケた反省」とその分析・対策を早急、課題にしなければならないという空気にさせた。

しかしどこか結果に焦る気持ちと「妙な違和感」を交えていたのである。

すかさず樋山は
「じゃあさジャガー(上岡の愛称)は、お客さん増やすためのこと考えてる?
早くノルマ捌けるようにならないとさ、ワンマンなんてできないよ」

「あぁ…」

「…そうっすよね!何か手を打たなきゃですよね!」

すでにブラック学習塾で猛烈系イェスマン体質にされつつあり、脳が麻痺していた私は、バカ丸出しの意見で割り込む。


「…そうだね、だからまずはデカいイベントに参加できるように。。」

上岡は至極現実的な、
しかし正直捻りもない、遠回しに「俺たちにはまだまだ自主開催イベントなんて早かった」と認めるような意見をした。

私は、大学生「だった」時のリソースは使い果たし、具体案も何も無かったくせに上岡のこの意見に対し、若干ガッカリした。

以前から「根本的なのは音楽的な部分」だと、リーダー田口は痛感しており、現に上岡とのケミストリーや彼の作詞で仕上げた新たなオリジナル曲に、手ごたえはあまり感じていなかったようだった。

樋山の謎の意識改革・決起プロパガンダに煽動されかける私。

ついに田口と同様口を噤む上岡。。


今となっては、突っ込みどころ満載な単語と売れないバンドの会話テンプレートの嵐が吹き荒れていた。


さて、ここからだ。

深呼吸ののち、樋山は満を持して言い放つ


「知り合いから、あるビジネスをやろうと言われている

そのやり方を実践すれば毎月まとまった収入が入り続けて、働かなくてもバンド活動ができる

みんなでやらないか」




…え、




あやしいでしょ絶対。





………どうする、この空気?




更に黙り、もうこの場から去りたい!とソワソワする上岡と田口。


私も、バカな言葉すら出てこない!


この場ではどんな反応が正解?

とにかく樋山の言わんとしてることを理解しようと努めた。


はい、えーと。。

…ビジネス?
何?会社でも起こすの?

知り合い?誰?

何の会社?

まとまった収入?

働かなきゃお金って手に入らないんじゃないの?

みんなそれぞれ仕事してるよね。

みんなでやる?

…何を?

さっきから樋山は何を言ってんだ?


(ピーン)

あぁ!わかったぞ

今一度、このメンバーがどれだけバンドに本気か、カマかけてんのか?

健気じゃないか樋山!

よし、私なりの情熱で応えてやろうじゃないの。


「でもぉ、とりあえず俺、塾講師辞めますよ!マジで。
もう平日もバンド優先させたいっす!ツアーとかもやりたいっす!
ねぇ?」

「お、おう!そりゃーな!」


なんとなくネズミ溝の危険な感じはしていた。。
樋山には申し訳ないが…彼には惹きつけたり説得できる話術は無く、無知な私の斜め上からの勢い発言は上岡と田口を救った。


「おぉ…拓也、何?塾の先生やめんのかよ〜」


「まぁ、とりあえず、この話は…」


それから、ロシアンルーレットの週末リハーサル後の恒例の飲みニュケーションでも、上岡はやたらよそよそしくなり、いまいちテンションが上がらない雰囲気になった。

高田馬場で樋山が踏んだ地雷は不発のまま…田口は各ライブ・ハウスに出演交渉を、上岡はメンバー全員が愛してやまないフィンランド発の伝説的ロック・バンド「HANOI ROCKS」の来日公演のチケット取得の手配をしてくれた。
2人とも、ネズミ溝に巻き込もうとしていたメンバーの一時の気の迷いを、聞かなかったことにしようと、忘れようと敢えて必死になってそれらをしてくれていたのかもしれない。

樋山もその空気を嗅ぎ取っていたか、その話を2度とすることは無かった。
やはり根は純粋で、このバンドにほとばしる情熱があったが故に悪魔の囁きに盲目的になって騙されかけていたのだと思う。

誰とて甘い汁や目の前のニンジンに釣られてしまうのはやむを得ない事だ。

しかし、樋山の「ハイ・リスクでもロック・バンドの夢はデッカく」を地でゆくスタイルは、「売れる・メジャーな」という目標においては、上岡との根本的な考えと乖離していた事実がこの件で明らかになったことが問題となった。


さてハノイ・ロックス来日。場所は川崎クラブ・チッタ。
当日はロシアンルーレットのリハーサル後、メンバー4人で行く予定。

スタジオを出ると上岡が
「ライブが終わったら、話したいことがある」
と申し出てきた。


もう3人、なんとなく分かってはいた。


…上岡は、脱退の意向を示すだろう。

理由は何というだろう?

やっぱり樋山のマルチ勧誘?

それとも田口と音楽的に合わないから?

上岡は敢えて私たち3人と距離を取り、秋葉原からJR京浜東北線にて小1時間ほど微妙な空気が漂う中、彼の確固たる意志とは反し、電車は品川方面へ揺られていった。

車中、樋山はイライラしていた。

上岡を一生懸命悪者に仕立て上げようとしていた。

上岡としても自分が悪者になれば…とまでは考えていたか分からないが、樋山の方は自分のせいでロシアンルーレットが分裂するかもしれないことを認めようとしなかった。

私はステージング能力や歌唱力の高い上岡が抜けることはロシアンルーレットにとって、かなり痛い事だと分かってはいたが、バンドの理想や志向は樋山寄りなので、上岡の「メジャーとか興味ない」や「売れなくてもいい」発言には、正直萎えていた。

田口は極端に
「あいつとはこの先やってもいいものは生まれない。縁がなかった」と諦めていた。

電車内では、上岡本人に時折わざと聞こえるかもしれない声量で愚痴る樋山と、それに相槌する私。たぶん気持ちを切り替えて何か案を頭の中で巡らせている田口がいた。

スマホがない時代、直通するこの山手線の車両内は、まさにLINEのアプリ・アイコンのような緑色をし、それぞれの思惑が流れ、感情というリアルな顔文字は窓にスタンプされた。

〜チッタに着き、ハノイ・ロックスのステージが始まった!

ボーカルのマイケル・モンローは終始ブチ切れていた。

マイケルやっぱりカッコい…

いや、なんか変だな、、


20年振り復活の二作目のアルバム・ツアーだったが、いまいちメンバーと息が合ってない。。気がする。

ギターのアンディ・マッコイもまるで飾りに見える。

私達のロー・テンションも影響していたが、前回ツアーやサマー・ソニックでガンズを食った勢いは、もう無かったのが事実。


あの時のマイケルとアンディ…

なんだか上岡と田口をみていたかのように思えてくる。。


川崎駅付近の焼肉屋という、最後に4人で酒を交わすには相応しい場所でハノイ・ロックスのサウンドとは真逆の重苦しい空気と煙の中、ロシアンルーレットの臨時ミーティングは行われた。


開口一番、地声までブルージーな上岡はまだお通しが来たばかりの序盤…


「実は、バンドを脱退したいと思ってる。
理由は…
この間のイベントで、俺のやりたいロックがロシアンルーレットには無いかもしれないって感じたんだ」


客が入らない
曲ができない

…それとはまた少し違う次元の理由だった。


どうやら対バンの「W」というグラム・ロックバンドの世界観に痛く感動し、悔しくなった、いいなと思って、また新たなロックバンドを探したい…と告白した。


大人の上岡のことだ。

実情は異なるかもしれない。

しかし樋山はそれを聞いて渋々納得するしかなかった様子だった。


私は酒の味がしなかった。


誰もハノイ・ロックスの感想もろくに話さず、パチパチと炭火で焼かれるロースの刻む音は、焦げていくにつれ失速していった。

結局上岡にはケジメとして7月までに決まっている数本のライブには出演してもらうことになり、私たちはその時すら、彼に大した労いや前向きな言葉ひとつかけることができなかった。


箸を置いて席を立つ上岡。

残された3人。

樋山は
「なんだよ!あいつ!言うだけ言って…

ハノイのライブも台無しだよ!」
激おこだ。

「そうですよね、ガッカリしましたよ」
なだめる私。


「もういいよ。あいつのボーカルじゃここまでが限度だったんだよ。次、さがそ」
田口は相変わらず。


「だったら、あいつにあたってみない?」
「レッドゾーンにそれっぽい人いないか聞いてみましょうよ!森重さんみたいな人、いないかな〜」
「次は慎重に、歌唱力やルックスだけじゃなくて、俺の曲に詩を載せてもらおう」



それは、灰だらけの黒い網のまま、新しい肉をうまく焼き上げようとするくらいの無謀な試み。。

それが遂行できるという根拠のない確信は、ただの陰口とともに次々に湧いて出てきた。


そういう時に限って、酒や肉の味は旨味を増していった。

だが3人とも肌では分かっていた。

上岡のボーカルとしての存在感やイメージ…

半年間、勢いとはいえ経験した場数や一応の実績…

それらの損失を取り戻すことが、そう容易にはいかないということを…


(続く