〜まぁこんな感じで、大学のサークルもバイトも本命のバンド「GYPSY(ジプシー)」も出だしは、順調かと思えた。

私は、軽音サークル「音友」で新入生にも関わらず新入生歓迎ライブなるものに出場。
グランジ・ロックの激しいドラムを叩き、既に4年生の先輩からもその腕と経験を絶賛されていた。

同い年の新入部員も何人かはバンド経験者であったが、踏んだ場数と練習量は圧倒的に私の方が勝っていた。

セックス・ピストルズのコピーで、ボーカルだった男などは私と同じく校外で本命バンドをやるために、メンバーを発掘する事が入部目的であった。

もちろん私は、彼からドラマーとして声をかけられたが、好む音楽性も違い、その話はなかった。
彼はU2のボーノなどリスペクトしており、パワフルなボーカル。
セックス・ピストルズの曲もジョニーに寄せてて良い感じだった。

ギターの荒井という男は、群馬県出身の柔道部出の、ロカビリー寄りのロックンロールを好んだ。
初心者だったがピストルやランシドなど洋楽パンクのコピーを皮切りに、彼は後にグレッチのギターを卒業後までも及ぶローンを組み購入するほどの情熱を持っていた。

「ロックンロール」の認識が私とはずれていた。

LAメタルやグラムロックのようなちょっとチャラいロックとは相反し、硬派な彼とは初対面ではあまりお互い印象が良くなかった。

それに私の方が先輩らからチヤホヤされてることも彼にしてみれば快くはなかっただろう。

彼もよく酔っ払った勢いで先輩に絡みに行き、可愛がられてもいたし、早速部内に彼女を作った。

そういう意味では、彼の方が私よりよっぽどロックンロールだった。


女性関係では私も徐々にだが、ミカへのトラウマも薄くなってはいた。

学年が上の美人の先輩に心寄せたりしたが、あの先輩と今カノこの先輩の元カノ、ワンナイト…吹聴される情報にいちいち1人で勝手にハートブレイクしたりしていた。

大人の男女事情ってやつの洗礼を受け、いまいち心が定まらなかった。

部内での恋愛などよくある事だし、たとえ自分にそのような機会があっても、高校時代のように中途半端な、気まずい形で終わったり、傷つけたり、とにかく音楽活動に支障が出るような結果にはなりたくはないと思っていた。

しかし若かりし盲目の故、その危険因子を取り除く事は、あの時は難しかったのかもしれない。


GYPSYの方では、ギターの廣田も別の大学に通っており、しっかりと学業を修めたあとの夏休みに、2本ライブをしようと計画。

1本はお世話になってるスタジオが開催するホールでのライブ。

そしてもう一つはベースの河原とともにサポート・メンバーとして参加したことがある岩渕氏のバンド主催のこれまたホールイベントだった。

GYPSYとしては、2度目の舞台である。

それまでに音源完成を目標立てた。
当時主流だとやはりカセット・テープでのオリジナルのプロモーション用のデモを作成しようとしていた。


そしてサークルでの「新入生お披露目ライブ」も迫る。

三年生の先輩たちとまた別のグランジ・ロックのバンドを組んだ。
パール・ジャムと言うアメリカはシアトルのバンドだ。
これはちょっとハード・ロックっぽくて気に入った。

そしてメタル好きの先輩もいて、高校時代に散々やったハロウィンのコピーも誘われた。

そしてセックス・ピストルズ。

更に同じ英文科でエアロスミスなどを好むギターの奴がいて、そいつはバスケのサークルと音友を掛け持ちしていたため、あまりこちらのミーティングなどに顔を出さず、バンドが組めてないようだった。
他にもそういう人たちに声をかけて念願のHanoi Rocksをコピーもした。

昔から「救済バンド」みたいなことを私はなぜかやりたがってしまうのだ。

その彼は後にバスケサークルを辞め、ギブソンのフライング・ブイギターを購入するほどのロックやバンドにのめり込むようになる。
果ては未来の結婚相手となる先輩とめぐりあえたようだった。

私が、彼の人生をちょっと変えたと言っても過言ではないだろう。


ガソリンスタンドのアルバイトは相変わらず腰が痛くなるし、眠いし苦痛で仕方なかった。

そんな感じで、入学早々、この時点でいくつかの単位が取得絶望だったと記憶している。。

夏が始まる頃には髪もだいぶ伸びてきており、懲りずにパーマをかけ、2度目の失敗も経験した。

我がサークルの夏合宿は新潟県にあるおリゾート施設に赴くのが恒例だ。

それを控えた頃、椎名林檎かなんかをコピーしていたガールズバンドのボーカル・歩がボウイや尾崎が好きということで、私と趣味が合い、積極的にアプローチされ始めた。

歩はタバコを嗜み、ちょっと気合が入ってるようなグイグイ来る系。

ミカ以上に危険な匂いがした。

私が軽自動車を持っていること、そして住所が隣の街…
もちろん帰宅時は隣に乗って来ようとする。

歩が、ちょっと悪い連中と付き合っているなどの片鱗を見せてくるので、一応警戒して最寄駅までは何度か送った。

ラブ・ホテルに誘われたりしたが、そんなことに至ってしまったが最後、沼確定だし、5000円を費やして、そのようなリスクをとるようなバカな真似は至極冷静な判断で制欲できた。

歩の愛情表現は直球ストレートで気持ち良いほどだったが、私の息子は爆発寸前だった。


いわゆる今で言うメンヘラ。
構ってちゃん、見捨てられ不安、地雷系。
組織や集団、友情関係を掻き回すクラッシャー…

音友で、歩にスッカリ骨抜きにされてしまった男がいた。


木村であった。


私が彼をGYPSYのボーカルと認定したすぐ後…

悲劇は始まった。

歩はほどなく木村と関係を持った。

しかし、地元の仲間の男との間で天秤にかけられている状態。

大学では、歩は好意を持たれてることを良いことに、何かと木村も鼻の下を伸ばし、焦らされ熱くなり、共依存状態で、歩にどっぷりはまっていた。

歩はそれでも隙あらば私をも喰おうとした。

恐ろしいのは、貞操観念の歪みと緩みに歩自身その自覚が全く無かった事だろう。


そんな木村はGYPSYを疎かにすることは無かった。

それはおそらく歩が、「自分が木村を腑抜けさせた」として、私から嫌われることを恐れたんだと思う。

私のGYPSYに対する思いを、理解してくれてはいた。

そんな状態で音友やバンドも、こなしていた木村はおそらく前期単位、おそらく一桁だったはずだ。



サークル合宿が始まった。

高原リゾートの空気の良い環境で音楽三昧。

青春の数日を送った。


羽根を伸ばし切った私は、ある晩酒の勢いに任せ、自室のベッドに隠れて歩とキスをしてしまった。


その数週間後にはGYPSYのライブを控えていた。

もちろん木村はそれを知らない。

だが私は、歩の手によってGYPSYがピンチになる事など断じてさせてたまるものかと躍起になった。

その合宿では、秋に行われるサークルの定期演奏発表会の選考オーディションライブが最終日に控えていた。
部員の投票で、出演枠や順番が決まるのである。

私は林と、ベーシストに長身の美人の先輩を迎え、私と林のロックの世界を表現しようとしていた。

なんとそれが1位を獲得してしまったのである。
新入生にしては珍しい快挙との事だった。

私は同じ1年生で、選考ライブで選ばれた女の子ギタリストのマリコと緊張感を共有し、スタジオなどでよく話すようになった。

やはり女のカンで、歩はマリコにあからさまに嫉妬しだしていた。


何をしでかすかわからない。

合宿中のキスだけとはいえ、歩の出方次第では、GYPSYの存在とサークルでの私の信用度や居場所さえ奪いかねない。


そんな状況でGYPSYも無事夏の二本のライブを終えた。。

奇跡に近い事だったと改めて思う。

充実感を感じる余裕など無かった。

無理が祟り、GYPSYが思ったより楽しめなくなっていた。

あまりにも代償のかかる労力が費やされた。


もう、音友のような仲間に囲まれて、コピーでも青春を味わえる環境に居続けた方がモチベーションも保てるのではないか…などと感じるほど、疲れてしまった。


廣田も河原も、もう木村のボーカルではやりたくないと意思表示しており、私は彼を信じた事に責任と恥を知り、歩による事もなく、GYPSYの活動を止めることにしたのだった。


さて秋の定期演奏会と軽自動車の車検も控え、懐の金もいよいよ尽き始めた。


夏休みが終わる頃、私の周辺からザワザワと変化の風が吹き出していた。