晴れて新世紀となっての初年度、埼玉の四年制大学に入学した私は、英語の教員免許の取得という大義名分をもとに、高校3年間で味わえなかった青春を取り戻すために、培ったロック・バンドでのドラマーとしてのライブ経験などを存分に活かそうと軽音楽サークルに所属し、チヤホヤされることを目論んでいた。


数日間の各種ガイダンスを経て、学部、そしてさらに学科、50音順に分けられたクラス…

クラスと聞くと、高校時代に馴染めず、浮いていた記憶が蘇るほどのトラウマなのだが、大学は授業毎にメンツが違うし、ひとつの服装、ひとつの建物に縛られる時間や空間、ホームルームなど全く無い。

次は〜号館の〇〇室、午後は…号館の××室。
あぁ、アイツがいるなぁ、あの子がいるなぁ。

など思い巡らせ歩くキャンパス。

規模の広さに安心した。

そして全員が英語を集中して学びたいという姿勢があり、素晴らしい!


…と、感動したは束の間だった。

本当に申し訳ないが、基礎的な学力のレベルが低かった。

いや、低いながらに打開策を模索しようともせず、群れ慣れ合うことを第一に授業コマを選んでいるであろう主体性の無さ、意識の低さに、冷めた。

しかし今でも、例え私が上ランク大に居て、周りのレベルに張り合いが持てたとしても
それはそれでめんどくさくて、バンドやバイトを優先し怠惰になり、おちこぼれて、不貞腐れてただろうと思う。


我が大学の英語力は、リスニングやスピーキング以前の問題だった。

私は、
「グラマーの基本は最低頭に入れており
そして、柔軟に理解し、表現や思考を養う。

尚且つニュアンスで伝える&間違えても気にしないマインド。
これが難しい、というか日本人の気質にそぐわない。

更に地味につけなければならない単語・語彙力」

が、
当たり前だと思い入学した。

要するに、英語と英会話は違う。

大学行って学ぶということは、教える側も理想は思い切りネイティブで、留学並みの環境が与えられ、英語に晒され、英語を漬け込まれるくらいのシステムが用意されている、と少し期待していた。


テキストとプリント配って
いつまで長文の翻訳をやっている?

そういう授業に安心してしまっている心理も透けて見えた。

この程度のカリキュラムで英語を教える人間が量産されるから、この国の英語レベルは…

と、愕然とするほど英語に対し思い憂う…

事も特に無かった。


「英語を勉強してる自分」とは結局、ロックをやる環境を作る上で必要だっただけで

なんとなくカッコついてればいいや、というステータスやアイテムに過ぎなかった。

ほかの、文学の授業などの方が面白かった。

何より、ロック活動、つまりGYPSYの再始動がメイン。

そしてもう一つ、こなさなければならないタスクはそれより大きいものがあった。

私は高校時代、一番長く続いた弁当・惣菜屋のアルバイト先の店長代理の人から新たにガソリンスタンドでのボーイをやらないかと誘われた。

店長代理はノブさんと言って、基本夜勤で人がいない時に呼ばれて、たまに出る程度。
私は夕方から夜勤バイトが来るまでの4時間、週に数回の出勤となった。

社員さんや周りの人達に恵まれてはいたが、苦痛で苦痛で仕方なかった。

まず、腰が痛い。

時間がものすごく遅く感じる。

当時スタンド有線でヘヴィ・ループだったBUMP OF CHICKENの天体観測を聴くたびに腰椎が疼いてしまう程だ。

帰って風呂に入りなんだかんだで12時に寝る…

わけもなく、ダラダラし翌日の一限目はだいたい遅刻した。


ノブさんから紹介された手前、労働時間を短くするのは義に反してるし、カッコ悪い。

何より小遣いをある程度貯めねばならない理由が私にはあった。

購入した中古の自動車はダイハツ製シルバーのオプティ。

2ドアのコンパクトさと5段階ギアのミッション車。
軽自動車といえど、維持費は大学生にとってはバカにならなかった。

任意保険なんぞ、18歳なら尚更割高で、駐車場代、ガソリンはもちろん、車検も半年分しか無かった。
もうバイト代の半分は占められている状態である。


無論ファッションや交友費などは全く余裕が無かった。

サークルで週一開催される御用達の飲み屋でのコンパなどでは二杯も飲めば、贅沢。

しかしCDなどは、先輩から借りたりしてたから特に困らなかった。

教育学部の美術専攻に思い切り70年代ファッションの目立った、憧れた先輩がいて、真似ようとして、ビッグジョンのベルボトムのジーンズだけは手に入れたが、まだまだ私は美的センスが確立できずにいた。

バンドやバイト、そしてフリーターになった地元の幼馴染みにも車関係でつるむ時間が増えた。


充実感を実感する暇がないくらい忙しかった。

女性関係では、同じ学部のミカという地方出の女子と彼女の下宿先で早速童貞を脱することができた。

代償はべらぼうに大きかった。

向こうも処女だったが、いわゆる清純派で天才的な小悪魔女子。
高校時代にみていた貞操観念が緩いギャル達とはまた違った。

私はミカと付き合うつもりでいたが
向こうの認識はまさかのワンナイト。

女性不信になりかけたし、その子に関わる人間関係も印象も悪くなり、最悪だった。

たしかまだ4月の時点である。

それでも、病んだり、それ以上生活が怠惰になることはなかった。


友人や音楽に救われていた。

環境は、最高だったんだ。

そもそも英文科は、これまた男女比率1:3〜4というハーレム状態であり、突出したイケメンでなくても、女の子と普通に接することができた。学食や大学から駅までの喫茶店や居酒屋で出会せ、まさにときめきメモリアル状態。

ドライブデートなども数人としたが、付き合うには決定打に欠けたし、ミカとのこともあり、ワンナイトの軟派さを怨んでしまった私は重く拗らせていた。


しかし浮かれ過ぎた足というのは掬われてしまうもの。

私はGYPSYのバンド・リハーサルに合わせられない、合わせようとしないボーカルの浜武を解雇した。

自らの手で、1年間休止させたGYPSYは、いったい何のためだったのか。

GYPSYに情熱を注ぎたいが故に、周りが見えなくなり無碍に扱ってしまう結果となってしまったのだ。

いや、どこか、この温い大学軽音サークルにいて優越感に浸りたいがために無意識にしたことだったのかもしれない。。


続く〜