先日、飛んで埼玉は秩父市まで家族で出かけた。


山越え谷越え闘神ヤマトタケルノミコトが祀られる「三峰神社」への参拝が目的だ。

それは遡ること一昨年、自宅近くの車道にて家族4人が乗車運転中、思い切り真横からの衝突事故に遭ってしまったのだ。


幸い全員無事だった。

さすが世界のTOYOTA、コンパクトな車体でも武蔵坊弁慶の如く横転せず仁王立ちし、その身滅びようとも私と家族の命を守り切った!

ディーラーへレッカーされるその堂々たる勇姿に惜しみ無い感謝と敬意を込めて、私たちは生きている喜びや尊さをしかと感じた。

そして新たに私たちの命の箱舟となる自動車、TOYOTAのルーミーに2匹狼の眷属神の御加護を賜うべく、この時期に毎年、御詣り馳せ参じようと決心したのだった。


そしてそう

本年は、私は本厄年だったのだ。

家族4人で引いたおみくじは、見事ド的確スピリチュアる結果と今後の導きを示した。

めくると漢字一文字がまず表示されるのだが、娘など思い切り名前の文字が出たので一瞬クラクラした。

おそらく神主はアーニャのようなエスパーだったに違いないます。


しかし先程、TOYOTA社が生産時の空気圧試験を虚偽記載したとして数車種を公表。

ルーミーももれなく挙げられた。

リコールの対象かどうかは現時点では定かでないが、由々しき信用問題である。

遂にTOYOTAまでもが…


この国はなんでも、トップを獲るとロクでもないことしてしまうのか?

隣国はなんでも、いろんな意味で勢い破竹
ICBM?
NEXZ?

もう日本のマネなんて言わせない?

ストレイキャッツはマネても
次は無い?
「NEX」Tは「Z」eroかい
JYパーク

一方本国、
J党パーティで
しゃぶしゃぶ焼肉…酒池肉林?

それより安価な
下町情緒の浅草牛すじ

大久保ネクすじ…

えじゃないか!

破壊がクリーンなら
親子で見せてよ構造改革。

ネクスト小泉進次郎?


長いものに巻かれて、欲しい?HUSH保守。
あわよくばと、おこぼれ有り難がる霞ヶ関の無能ども、いつか民衆の逆襲に慄く日も近いぜよ。

うん、それも正直甚だ疑わしいところだが…


いたよね昔もノストラ騙す
〜1999年7の月。

高校2年当時私の、それは湯水の如く湧き上がるリビドーに、枯渇という言葉は無知無縁だったといえよう。


夏休み明けに1年以上の改装工事を経て体育館がリニューアルされ、秋に開催予定の文化祭の体育館ステージにて開催式・閉会式で文化部の活動の一部が全校生徒に発表されることとあいなった。

一学期末に生徒会や文化祭実行委員が各部をとりまとめ、演出などを担った。

軽音楽部は各式1バンド約15分演奏と決まり、その中でも総合的に相応しいグループを審査すべく、広めの視聴覚室でオーディションが行われた。


私は大西というイケメン・ギタリストと「egg」というバンドでエントリーした。大西はギャルが好きであった。

オーディションでは確かSEXマシンガンズの名曲「みかんのうた」を演奏し、その爆発的なインパクトで見事開会式のステージ出場権を獲得した。

ボーカルは大西のクラスメイトの倉持というロン毛・茶髪・腰パンの当時三連コンボのチャラ男だったが、すぐに仲良くなれた。

いい奴だったし、バッグにマジックでBOΦWYや COMPLEXなどのロゴが落書きされており(たぶん兄貴のお下がりなのか…)
私の地元中学のワル共ともおそらく少し繋がっていた。
先の話だが、受験勉強せずに私と同じ自動車教習所に通い、卒業後はトラック運転手になったような奴で、高校きてまでワザワザイキってるようなただのエセヤンキーとは違った雰囲気は出ていた。
まぁお調子者で、ボーカルとしては華もあり、文化祭本番ではB'zも難なく歌えていた。

大西は一匹狼タイプで、クールだった。

2人とも背が小さかったが、彼らのクラスではもちろんカースト上位でモテていたと思う。


結局、オーディション通過はそういう背景も影響していたのか…

いまいちスクール・カーストからすらもハズレてしまう3種のチー牛だった私はスッカリ有頂天となり、文化祭が終われば薔薇色の日々が送られるなどと信じ込んでいた。


オーディションでは他にも、ショウや渡辺、そして河西という男とシャムシェイドの「グレイシャルlove」という曲で挑んだ。

正直、「egg」より出来が良かった。

しかし、落選。

いまいちコミックバンド感が出てたのと、ボーカルが定まらず渡辺がギターを弾きながら歌う、という形だったことが原因か。


前章で私をヴィジュアル系バンド「A•dict」から解雇した増山と西田のバンドも閉会式の枠で選ばれた。

彼らは全員ルックスも良く、演奏も申し分無かったと記憶してるが、肝心の曲は覚えていない。

たしかオリジナルだった気がする。


それほどeggの「みかんのうた」のパワーは凄まじかったのだ。


増山たちに対して対抗意識は無かったし、ショウたちに対しても「俺だけごめんなぁ」などとも思わなかった。


渡辺にとってもハードロック系の邦楽バンドが盛り上がることは喜ばしかっただろうし、何より私と彼は、去年卒業した二つ上の先輩らとジャーマン・メタルやネオクラシカル・メタルのコピーバンドに誘われ、夏休み終わり頃に浦和ナルシスという老舗ライブ・ハウスでのイベントに出演する予定が決まっていたのであった。

ショウも、笹野も別の先輩(現・西川口ハーツのブッキングマネージャー)らとJUDAS PREASTや Helloweenのコピーをしており、そことの対バンだった。


他みんな、何かしらモチベーション高く、夏休みは鎬を削り、演奏技術を磨いていった。
高校の軽音楽部としては、かなりのレベルだったのではなかろうか。

シャムシェイドをやったチー牛らは更に、クソ暑い中メタリカなどコピーしていたが、渡辺と河西はたまにジュディマリというオアシスがあった。

「egg」では、ベース渡辺もZIGGYの小難しいコピーを頑張ってくれて、私としては大変嬉しかった。

大西が原付で不注意による交通事故に遭ってしまい、ギター演奏が危ぶまれたが、「ギリギリchop」の如くなんとか本番には支障は出なかった。


しかしあまり増山と西田、小原を部活で見かけなかった。
彼らは「A•dict」から「mist」というオリジナル曲中心のバンドとして部外でも活動していた。

結果を先に述べるが、mistは体育館ステージでラストを迎えた。
正直、ルックスが良く、演奏が巧いだけでメンバー同士の雰囲気もオリジナル曲もパッとしなかった。

今思えば、コンセプト定まらずのインパクト不足か、よほど毒々しいことをやっていた「A•dict」の方が化ける可能性があった気がする。

結局ミレニアムのTHE LAST ROCKSTARSか、リーグ各チームの首位打者をかき集めても良いチームにはならないものなのだ。


全体的に、女子絡みで誰かが揉めるとか何かが狂うとかは無かった。
少なくともチー牛が知る限りは。

みんな、結構ストイックだった。

ちなみにNIRVANAのコピーしてた彼らも彼らで狭く深く、結果長く続いていて遠目ながら少しは刺激しあえてたと思う。

まぁやはり、若さゆえもありグランジとハードロックはさすがに互いに感じざるを得ない壁は高くあった。


さて、いくら忙しいとて、河原との部外でのバンドも忘れ去り切り捨てるような残忍で無情なチー牛ではない。
誰よりもピュアで情け深いのだ。


初めて夢を持てた、プロを目指すきっかけになった絆なんだ。

1年間ダラダラやってしまったが…

とりあえずライブイベントにエントリーしよう!と、練習スタジオに貼ってあった一枚のチラシに運命をかけたのであった。

それは、10代のメンバーが1人以上いればエントリーできる夏休み中に毎週埼玉の各市民ホールで開催されるイベントの募集要項だった。

渡辺とはこの時点で3バンドで一緒なのであるが、コピー曲にマイケル・シェンカーなどが決まり、モチベーションは高く、河原も本番に飢えていた。

私は依然として、まだ先に合わせる予定の一曲のスコアのコピーを、次の練習の時に貰えばいいものを、暇だからと自ら取りに行くべく、1時間以上かけて渡辺宅まで自転車を漕ぐ労力などは一切惜しまなかった。


さて大問題は、ボーカルだ。。


山口以降、誰も候補すらいない。

渡辺も流石にギター一本に専念したいと言う。

そこで、私には3つ上の兄がおり、彼は大学でJAZZ研に所属していた。

さきのメタルのバンド同様、
夏休みは大学生と絡める機会があり、視野が広がることを少し期待し、藁をもすがる思いで
「ボーカルやってくれそうな人、いないかな?」と兄に問うた。


返ってきた答えがなんと

「…俺、やろうか?」


正直、なんとも言えない気持ちになった。


とりあえず私のオアシスには…なりはしないだろうなとは思ったし、その通りだった。

チー牛の血の繋がった兄は、曇った鏡を見ているようで、やはりたまに痛々しかった。

B'zは、倉持の方が上手かった。。


兄はヘルプメンバーとしてのボーカルで頑張ってくれたし、初のホールでのライブ経験ができ、河原も渡辺も、彼に惜しみなく感謝した。


そして…

さらに懲りずに私はなんと、またアルバイトをしようとした。

欲しい機材はあるにはあるが、ドラムとなるとキリが無い。

なのに何故か私はマグロの如く、止まると死ぬとでも思ってたのか、去年のファミレスで精神ボンバーしたことを忘れ、隣町のこぢんまりとした韓国焼肉屋に当時親世代のアタマも緩み、値段の敷居も低くなり始めた頃手に入れたPHSという文明の利器を使い、問い合わせていた。


今でこそマダム・キラーと称される私だが、そこの焼肉屋の韓国人店主のオバちゃんは、国の違いか、トロい日本の坊ちゃんである私をあからさまに冷たくし、こき使ったのだった。


JYPの話ではないが、日本に来てまで店をやる気概と覚悟があるから、それなりにヤリ手だったろうし、使えない人間には、そういう見切った態度でしか扱えなかったのだろう。

まぁ現代なら尚アウトな案件だが。

一応私は飲食店バイト経験とはいえ、マニュアルが無く、感覚でこなすことが求められた個人経営店。。

こびり着く脂と匂いが充満するバックヤードの掃除から、夏場だろうが炭置き場でのアミ交換など、いわゆる3K労働だった。

交代で賄いを頂き、それから締めまでノンストップでのマルチタスク。


店主や客に怒られ続け、1週間で音を上げた。


店主に泣きながら辞めさせてくださいと電話したら「男が泣くんじゃないよ。もういいからお金、取りに来な。待ってるよ」チー牛さらに涙…


チー牛は、本当に社会的経験が不足してたし、適応困難で要領が悪かったのだ。


変に真面目で可愛げもなく、
むしろ計算高かったり天然で人心の掌握や操作に長けてる訳もなく、競争や椅子取りゲームなどのギラギラ感を避けてきた温室育ちだったため、資本主義社会の冷たさが芯まで沁み渡り、心を冷やした。


しかしまだ季節も夏真っ盛りで、まだ燃料が底無しだった私は

「色恋沙汰とかも、やっぱり無かったなぁ」

とスパッと諦めがつき、相変わらずミューズ・鈴木あみと妄想BE TOGETHERし、乗り切ったのだった。


4バンド、しかも全部ハードロックやヘヴィ・メタル。

あまりメリハリも無かった。



そして欲はそんなに張るもんじゃない。

充分張ったよNECKスジ…


てことで、各バンドのライブは本番を迎えて私はまさに4種のチー牛になろうとしていた。