私は幼いころから
自分の居心地の良い場所が
家庭には在りませんでした
両親が不仲だったので
いつも顔色をうかがい
喧嘩が始まると身を小さくし
耳をふさいで泣いていました
でも両親にとっても居心地の良い場所は
家庭にはなかったんだと思います
母の居場所は私になりました
母は私が全てだったんだと思います
裏腹に私は反発を繰り返しました
だから余計に
私の居場所はありませんでした
仕事を始めるようになって
仕事への興味もありましたが
私には母と離れる時間ができたことが
大きかったのだと思います
何よりも仕事を優先させ
働き続けました
父が亡くなり
私と母の関係は良くなるどころか
母の干渉は倍増しました。
「私が居なければ、
あなたは人として欠けたまま」
「親を大切にしないあなたは、
誰からも愛されはしない」
だから
「私」が居なければダメ
「私」が居れば大丈夫
それが母の理屈だったように思います
30歳前くらいの時
半ばノイローゼになりそうだったので
私は家を出ました
そこから益々、仕事中心でした
仕事や職場は私にとって
「居場所」に思えたのだと思います
そして「頑張れば」「努力したら」
結果が出る
結果さえ出れば、認めてもらえる
結果は全て
そう思って、必死に働いたように思います
「給料の3倍の売り上げを稼がなければ、
お前の席はない!」
そう言われて育ちました
厳しかった、苦しかった
でも、頑張るしかなかった
私の「居場所」だったから
そして私の中には
結果が全て
頑張るのは当たり前
努力しないとダメ
結果が出なければ価値は無い
こんな観念に囚われた人生だったように思います
そして何十年と積み重ねたこの
観念は
そう簡単には取れません
仕事でも恋愛でも
上手くいかなくなると
私の努力が足りないから?
頑張らなかったから?
と自分を責めます
そして
人と比べて
やっぱり自分は足りなかったんだ
だからダメだったんだ
と自分にダメ出しをする
私には意外とストレスに対する強さ
がありました
そして
心の奥底にある力に
ほんのり気が付いていました
だから何とか、何十年と過ごすことができました
でも
やっぱり私にも限界がきました
バッテリー切れを起こしたのです
そして私はようやっと気が付きました
私の居場所は
私が選べるし、
決められるし、
作れる
そして
私の価値は
私が何かをしたからできる価値ではなく
私が私のままで
あり続けるからこそ
価値がある
目標を達成したから
優秀
親を喜ばせたから
良い娘
ではない
私はどんな時も自分として
何を求め
何を喜び
何を大切にするか
に忠実に、誠実に
努める
それでいい
今日一日、
あなたが幸せと感じる方へ
居心地がよいと思う事を
選択できますように
私は心地よい人と
心地よい温泉で
ぷはぁ〜
幸せ(^^)