幸福感について | こころの声を聴いて Happyに

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自分を自分で喜ばせられる働きをして、Happyを作りだせる生き方を!

人は自分のためだけの幸せでは幸せを感じない


そんな事が書かれている本も沢山ありますが


人が幸福感を感じるのは

どういう状態か


*私はなくてはならない存在

*私は必要とされている

*皆が私がしたこと(居ること)で喜んでいる

*私は役に立っている


こんな事を感じられると

人は幸福感を感じる


これを見ると

人は、他人の幸福のために生き、そしてそれを認め、感じられると

幸せを感じる

という事がわかる



カウンセリングを受けて下さるクライアントさんの多くが

「人のために生きたい」と言われる


そして

*母のために

*夫のために

*子供のために


と一生懸命に生活をされている。


でも


辛そうで、苦しんでいます。

なぜでしょう・・・・

人の幸福のために生きているのに・・・・



そこにはたくさんの「我慢」があるように感じます。

人のために生きる事は犠牲になることなのでしょうか。。。。


そしてもう一つ

多くの方が、よい息子、よき妻、よき母、よき上司と

自分をがんじがらめに縛っている人が多く

よき●●になれない自分を責めたりしている


とっても辛そうで、苦しみをヒシヒシと感じます


その人のために「よき●●」になりたいと思っているのに・・・・

▼▼すればきっとよき●●になれる

って頑張っているのに・・・・

人のため、人の幸せを願っているのに

幸福感はなくて、とっても辛い


なぜ?


実はそこには、その「相手」は居ない

そこにいるのは、自分だけ。

でもその自覚はない。(人のことを考えていると思ってるから)



よき妻でありたい→よき妻でなくては→いっぱい我慢する



これって本当に旦那さんが望まれている幸せ? 二人の幸せ?

よき妻でいたいと思うほど大好きな旦那さんは

あなたの幸せを望んでいないと思う?


旦那さんが何を求め、何を幸せに感じているのか

ちゃんと旦那さんを見ているでしょうか?


見ているのは自分だけ

自分が 「どうあるか」「どうよき妻と思われるか」

目は自分にしか向いてない

しかも現実の自分では無く

良き●●になる想像の自分を見ている


尊敬という言葉は明治時代に作られた日本語です。

西洋の高等教育を日本で行うために、福沢諭吉さんとかが

沢山の言葉を作ってくださいました。

そのお蔭で、私達は大学まで母国語である「日本語」で受けられる。

多くのアジアの国々が大学の授業が英語なのは適する言葉に限界があるから。


その「尊敬」

語源は英語のRespect (←respicere = 見る) を訳したもの 


人間のありのままの姿を見て、その人が唯一無二の存在であることを

知る能力のこと。


現在の日本語では「尊敬」は少し違う使い方となっていますが

もともとは「尊敬」とはしっかりと相手を見ること、ありのままを見ること、

そして相手を大切だと尊重すること


他者にたいして、しっかりと目を向けて、ありのままを見て初めて

その人は「何を必要としているんだろう」「どうしたら喜んでくれるだろう」

と思いやることができる


よき妻、よき娘、よき上司であることにばかり目を向けているときは

相手の事ばかり考えて、相手をすごく思っているようで

実は自分のことしか見ていない

しかも よき●●でいたい という想像上の自分


だから、自分が頑張った事に気が付いてくれなかったり

思う答えが返ってこないと



「なんでぇ!!!!」と苦しむ


そして現実の自分にも目を向けていないから

自分のことも

「私、なんでぇ? やっぱり私ダメなの?」

なんて不用意に自分を責める



もし自分が、「よき●●になりたい症候群」になっていると思ったら


まずは


自分のために「よき自分」になる事から始めて見てみましょう


私は何を求め、何を喜び、何をしたいと思ってるのか


それが分かって初めて、人をしっかりと見ることができます。


その時感じる「人のため」には「我慢」は無いと思います。


もしまだ我慢を感じたら、

自分が見ているものな何か、誰かを軌道修正してみて下さい


直ぐには難しいから、何事も練習、練習です



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