考えてみると、外の世界の何物とも比較せず競わず、ヘソ下三寸、丹田辺りに居るもう一人の私相手に、チャーリー・パーカーやロバート・ジョンソン、あるいは江戸川乱歩や三遊亭円朝、三島由紀夫、ここに至り寒山拾得や蘭渓道隆、一休宗純等をお題に、ただ向き合って来たような気がする。それもこれも鍵っ子時代、頭に浮かんだイメージはどこへ消えて行ってしまうのだろう?一人妄想に耽ったことから始まっている。一人で本を読んでいて、柱時計の音が耳に馴染み過ぎ、鳴っているのかいないのか判らなくなり、時計の下で耳を澄ませた。 水木しげるの漫画で、山道で不思議なものに出会った少年が、今のは一体何だったんだろう?なんてブツブツいいながら一人歩いている。そんな調子で寒山拾得、一休禅師や大燈国師と今は向き合っている。行き先などはどうでも良い。そもそも私が決めることではないという気がする。