盲目の森女を作り始めた当初は、素朴な若い娘を想定していたが、黒蜥蜴、鎮守の杜の姫神様を作ったことを思い出していたら、住吉大社の宮司の親戚筋の娘で、一休が『狂雲集』で書いたことを真に受けるとすれば、老人に精力、生命力を与え、88まで生きたことも含め、すべて森女の霊力の賜物である、というイメージに変わって来て、作っているうち素朴さが消え妖しさが増して来た。 かつて近所の定食屋のかみさんと三女に演じてもらった三遊亭円朝の『牡丹灯篭』や制作寸前まで行ったことのある泉鏡花の『高野聖』など男か妖しい女に取り憑かれ殺されたり獣にさせられたり、の物語は数多いが、そこは一休和尚の徳の高さで森女の霊力により生命力を得た、という解釈に。
