作りたいものが常に順番を待っている私は、この調子で行けば、死の床で、あれを作りたかった、これも作れば良かった、と身を捩って苦しむに決まっている、と若い頃から嫌でしょうがなかったが、その原因が小四で読んだ『一休禅師』の門松は冥土の旅の一里塚〜で、生きれば生きるほど冥土に近付く、ということだった、と気付いたのは昨年まさにその場面、竹竿に骸骨掲げた一休和尚を作った時だった。しかし暮れに母が苦しむことなく穏やかに亡くなり、2週間後に冠動脈で二度の入院を経験し、すっかり恐怖心が消え、そんなこと考えている前に作れ、となった。そして今そんな一休和尚を軸に制作しており、その一休が尊敬した大燈国師もとにかく毎日励め、といっている。多少の毒なら効き目が出る前に終わるであろう今日。考えているくらいなら猿がらっきょうを剥くが如くひたすら作ろう。