昔の頂相や肖像画はだいたい斜め45度である。つまり正面の顔は誰も観たことがない。法医学の複顔ではないが、立体化すれば可能である。今ならAIに任せるところだろうが、人間様が頼まれもしないのに作りたくて作ったものとは趣に大きく違いが出るだろう。そんなことを考えていると、今まで数百年作られなかったのだから、私が作らなけれ今後も作られないだろう。鍵っ子時代と変わらぬ調子でよからぬことを考えてしまう。大燈国師を橋の下のホームレスの中から探し出し帰依した95代花園天皇のユニークな面相は小学生の時、百科事典の別巻で観た覚えがある。一休宗純がらみでいえば、一休が自らを生まれ変わりと信じたという虚堂智愚。 かつて友情を持ってそんなことは止めろ、と止めてくれた友人も、今では遠巻きに薄目で眺めている有様である。腹中をアルコール消毒して目を覚ますことにする。