一休禅師と大燈国師のどちらの坐禅像を先に制作するか。何も決まっていないが次の個展は一休禅師を軸に考えているので,いずれ一休の坐禅像は作るが、大燈国師の坐禅像は,自動的に入滅の図になることもあり、大徳寺にあるという血染めの衣の写真を見てから判断すべきではないか。これは作ってはならない、となる可能性もあるが一目見れば判るだろう。だがしかし。20年続けた当ブログも閉鎖するにあたりデータの移行がギリギリになってしまい、万事がこの調子だが、作ることになるとせっかちに変身する。待っていられるだろうか。今まで作られたことがないのだから。これも私が手掛けなければ、作られるることはないだろう。決めかねている事態に乗じ、台所の片付けを少しだけした。