一遍上人を回避し?まずは一休の坐禅像だ、と決めたはずが。 大燈国師の坐禅像はいずれ作るつもりでいたが、考えてみたら脚が悪くて曲がらなかったのなら、坐禅像は、自ら脚を折って入滅した姿ということになってしまう。大徳寺にその時の血染めの衣が残されているというが未公開らしい。そこでSNSで東京の大徳寺派の住職様に伺ったところ実物は見たことはないが写真は見ました、と教えていただいた。 ”人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている”と養老孟司がいっている。結局良くも悪くもこの仕組みに支配され続けてきた。しかし自然物である人間の仕組みであるなら従うしかない。とはいえ思いついたからといって、開山様に失礼なものを作ってはならない、と叱られたら、かつて人前で個展などせず友人だけに見せて良いだろ?なんて生きていけたらどんなに良いか、と思っていた私である。そうしよう。