『乞食大燈像』を作っていて目の前に二叉路、三叉路が、などといっていたら友人が一つは一遍上人だろ? 母から耳にタコで聞かされていた。大荒れの台風により幼稚園の休園日、佃の渡し船を描いていて、同じもの書いてあった、と母が止めるのも聞かず、マンホールの蓋の東京都のマークを見にいった。物心ついて以来、ブレーキ性能に難がある。とはいうものの、さすがにこの歳になれば、一応右や左を見て渡ることくらいする。 『乞食大燈像』の次は禅宗からはみ出さず、一休和尚坐禅像に決めた。大燈国師最後の姿も一瞬よぎったが、足腰はともかく、その他の検査結果は良好である。一呼吸おけと。 こんな調子で紆余曲折、枝葉を伸ばしながら今日に至っている。