陰影のない手法は、重ね塗りしていた肌が、撮影したら目で見るのと違い、ただの汚れになってしまい、慌てて一色のベタ塗りに塗り直して撮影した。そうなる、ということが判っていれば良いので、何故そうなのかは面倒なので考えない。 また作品が粘土感丸出しなので、プリントを拡大するとアラも拡大されるか、というと拡大するほどリアル感が増し、制作意図がより鮮明になる。展示会場では、そこまで育てたつもりはないのに、と思う。実をいうと半分ぐらいしか理由が判っていない。そうなる、ということが判っていれば、とりあえずは良い。 二十代までの私は考えてばかりいた。それは想いを可視化する手段を持っていなかったからで、手に入れたならば、“考えるな感じろ“などは禅に教わるまでもなかった。危惧すべきことがあるとすれば、高校生の時、鉄骨運びをして予見した〝人生夏休みのアルバイトの如し。コツが判った頃夏休みは終わる?“くらいである。