好きな物を作っていようと、結局あれを作れば良かった、これも、と死の床で苦しむに決まっている。という思いを長年抱き続けたが、その原因は小四で読んだ『一休禅師』の “門松は冥土の旅の一里塚〜“だったと気付いたのは、まさに竹竿に骸骨の一休を作っていた昨年だった。『一休禅師』を読んだってわかる訳がない、と止めたことを覚えていた母は、昨年暮れの27日に穏やかな顔で死ぬなんて大したことはない、というメッセージを残して亡くなった。その2週間後その後もう一回、冠動脈の手術を経験した頃には死の床で〜という思いは雲散霧消。6月に建長寺での個展を終え、一休つながりで大燈国師を作り、とどのつまりは脱俗超凡の世界だと。間違いなくシナリオライターはいる。それはおそらく外側ではなく臍下三寸、丹田あたりに居る。