私が残された時間のなさをことさらいうものだから、友人に励まされたりするが、まだ執行は先だ、とたか括っていたらお迎えが来て慌てる死刑囚みたいになるのが嫌なだけで、先がないつもりでいて、存外長く続いたら単純に喜べば良い。欲には際限がなく、ここに至れば単にイメージ通りに出来た、ぐらいでは満足出来ず、呆れて自分自身後ずさるくらいが希望である。 亡き父は最晩年入退院を繰り返し、一緒に救急車に乗った時今度はダメか、と覚悟したが退院して来たので家に帰ると、ガリガリの父がスポーツ新聞を手に水戸黄門を観ていた時のショックが忘れられない。人はそれぞれである、と我が父に教わった。もっとも向こうは、それはこっちのセリフだというだろうけれど。