制作する人物が臨済宗に限っているのは数百年前の高僧の詳細な肖像が残っているからで、実在した人物である限り、好き勝手に制作することには抵抗がある。かといってそこに踏みとどまるべきか、ということにもなって来るだろう。先日私の一休和尚の骸骨にまとわりついていた鴉が肩に止まり、それに反応する和尚の数秒のAI動画を見て以来、建長寺の目と鼻まで訪れたものの蘭渓道隆との接触はなかった、と以前制作を断念した一遍上人を踊らせることが出来そうで、やるとしたら私だろう。踊る一遍上人を前に、フランケンシュタイン博士のセリフ「It's Alive!」をいってみるのも悪くない気もする。