一休は赤鞘の大太刀を腰に、ひきづりながら堺の街を歩いた。中身は木刀である。見た目だけでなんの役にも立たない、と当時の僧への皮肉である。髑髏を竹竿に掲げた一休の頭部を、あえてそのまま使って制作している。 毎年、大晦日に昨年制作できなかったり思い付かなかったことがやれたか?と振り返ることにしている。最新作が一番であるべきだ、という思いや、死の床で、あれもこれも作りたかった、と苦しむに決まっている、とうんざりし続けたことが、すべて小四で目にした一休の〝門松は冥土の旅の一里塚“により、生きるほど死に近づいてしまう、ということが刷り込まれたせいだ、と昨年一休を作っていて気付いた。結果的に、一週間だろうと後戻りしたくないし、最新作こそが人生上の最突端、と前だけを向いてやって来られた。