高僧の教えそのものであるとして描かれ、弟子に卒業証のように託された禅宗の肖像画である頂相を、写経のようにひたすら写し立体化する。私独自の、そんな禅に対する向き合い方、アプローチがあっても良いのではないか?何しろ対象は師の教えそのものとされて来たものである。 それに加えて 長く続けてきた人像制作という渡世上のルールに基づき、出来うる限り肝心の頭部、面立ちは事実に近づけたい。水墨画しかなかろうと陰影が描かれなかった時代だろうと、私の方法で、誰も観たことがない場面を可視化していく。何百年も手付かずなら今後もそうだろう。その手法は、今回の建長寺で完成している。ただ勘違いして柄にもなく、歴史的重要性など爪の先ほども考えてはならない。あくまで画としてただ面白いものだけを。 おそらくもう、作ってもいない作品の幻に悩まされ、夜中に目が覚めることはないだろう