制作した人物の、これ以上ない場所で展示する機会など、そうあるものではない。あっという間の4日間であった。搬出の車を出してもらうのが高校の同級のOで、Aにも、これ以上できないところまでやったから来いと伝えていた。そこへ担任だった伊藤先生。コロナの最中、ふげん社の寒山拾得展の時に帽子とマスクの先生に、どちらの伊藤さんだろう?と失礼してしまった。お元気で何より、OとAも50年ぶりくらいだろう。懐かしく過ごす。 今回は搬入搬出展示など、腰痛を抱える私を友人知人に助けてもらった。帰宅後、疲れてお祝いにいただいた甘い物を食べながら芳名帳を見ていたら、存じ上げない方々により〝世界和平“〝平安“〝平和“と、想像していなかったことが書かれており、そうか、今回画廊で個展をしたのとは意味が違うんだ、と今になって急に思い知り、ウルッと来て鼻水を垂らしてしまった。