日々の積み重ねが今日なら、最新作が一番でないとならない。他人と自分と比較したり競うことは興味はないが、あの時のアレの方が今のコレより良い、なんてことは寿命を無駄遣いしたようで耐えられない。それを避けるには自分が変化するべきである。今回は昔からの知り合いが来てくれている。何が嬉しいといって、私の変化、かわり様を知っていてくれるというのが何よりである。 考えるな感じろで行くと、頭の理解が追いつかないこともある。チャーリー・パーカーは演奏中、自分の指を見て、今演奏しているのは自分なんだ、と驚いたというが、私が制作した蘭渓道隆が、建長寺の庭園からの外光に照らされているのをみては現実なんだ、と不思議な気がする。