10年前に2000年から始めたHPがネット上から消えているので、数十年前の作品を引っ張り出してスマホで撮影し、インスタやフェイスブックでアップしている。寺山修司を三沢、泉鏡花を金沢まで持っていけば数十カットはものにして帰って来たが、そう考えると人形作ってものになったのははたった1カット、などということがしばしばある現在は、いわゆるコスパは最低である。(そんな場合、人形は写るところしか作らない)その代わり、画面の中には私のイメージしたものだけ。乱歩いうところの  “現世(うつしよ)は夢 夜の夢こそまこと“的にいえば、 私のイメージこそまことにはなっていて、頭に浮かんだことは、どこへ消えていってしまうんだろう?と考えていた鍵っ子時代の私の悩みに、ようやく答えられている気がする。

村山槐多