大燈国師という京都大徳寺を開いた人物がいた。悟りを開いたと師から認められた後になお師の教えを守り、東山に隠れ住み夜は修行僧を指導し、昼は五条の橋の下で物乞い病人と共に二十年間修行したという。大燈国師の視線が横目でそっぽを向いた肖像画を見て、そんな表情は一休宗純以外に見たことがない。それが興味を持った最初である。そして知ったのが、一休は国師の没後五十六年後の生まれだが大尊敬した人物であった。横目は一休が真似たものだろう。 当時の五条橋は現存していないが、ロケ場所はすでに目星は着けてある。またいったい何を作ろうとしている?といわれそうだが、昨日のブログで書いたが、鈴木大拙が ”禅は、一たびその進路を決定した以上は、