飯沢耕太郎さんの講座第1回(古石場文化センター)何故日本は本来光画と訳すべきところを写真としたのか。写真という言葉を選んだことで写真は写真だ、と日本人はなったのではないか。そう思うと会場にいる石塚公昭さんは珍しい、といっていただいたが、写真を始めた最初から、まことを写すという用語に居心地の悪さを感じ、まことなど写してなるか、とあらがい続けてきた。光画だったらどうだったのか。日本人が写真は写真であるとなったのが、その言葉のせいだったとしたなら、私がこうなったのも、やはりその言葉のせいだったろう。野島康三を見てオイルプリントの実験を始めたのが91年ごろである。絵画主義写真(ピクトリアリズム)に関して知るには飯沢さんの『芸術写真とその時代』しかなく貪るように読んだ。