“門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし“小四で母にねだって買ってもらった『一休禅師』のこの言葉が思いのほか私の死生観に影響を与えていたことに気付いたのも、まさにその場面を制作していた時であった。常に作りたいものがある私は死の床で、あれを作るべきだった、これも作るんだったと後悔して苦しむに決まっている、と若い頃からうんざりしていた。しかし結果的に作れるものは作っておくしか対処のすべがない、と作り続ける原動力になっただろう。その本には横目でこちらを見る、一休の弟子でもある曽我派の手になる肖像画が載っていて、あれがこちらを見ていなければ、ここまでのことになっていなかった。人の姿を作る渡世に生きる私にとって作るべくして作った一作といえるだろう。