考えるな感じろはブルース・リーにいわれるまでもなかったが。これが最後だと7、8年も陰影のない手法 をやっていたのに去年の暮れから急に方向転換。何度こう言うことを繰り返したろうか、原因は丹田あたりにいる何某かが発動するせいだが、それに任せた方が、結果が必ず良いのだけは判っている。あれだけ石塚式ピクトリアリズムなどといって嬉しそうにしてたのに、少々気恥ずかしくはあるが、メリットといえば糠床を底の方から掻き回すように常に新鮮であるし、自分で作っておいて頭の中の想定と違い、感心したりするのでオメデタイとしかいいようがない。単純に考えれば頭の理解が遅れ、それによるタイムラグのせいだろうけれど。