寒山拾得を手掛けて以来、さまざまな道筋を経ながらラインナップを決めて来たが、そもそも禅宗でも臨済宗が詳細な頂相を残すのが特徴と知らなかったせいで、寒山拾得から、子供の頃イメージした一休宗純も同じ臨済宗か。これも縁だ、と一休を作り、その肖像を描いたのが曽我蛇足(じゃそく)で、蛇足が描き、一休が賛を書いた臨済宗の開祖、臨済義玄の激烈な表情が面白くて作ってしまった。 次は日本に禅を持ち込んだ栄西と思ったら、臨済宗も15派に分かれ、そう単純なことではないらしい。展示出来るか判らないが、二人の禅師を作っている。きっかけは坐禅もしたことのない私の行き当たりばったりかもしれないが、すでに流れが生じており、流れには逆らうべきでないことを知っている。寒山と拾得に見えるバカボンのパパとレレレのオジサンを描いた赤塚不二夫も言っている〝これで良いのだ”