学ぶは真似るから来ている。昔から素直に受け入れられないで来た。日曜美術館で明兆の『蝦蟇鉄拐図』を取り上げていた。作業しながら聞いてただけだが、『寒山拾得図』で有名な中国の顔輝の影響、ということで、衣の表現に独自性が、と解説していたようだが、肝心で最も美味しい所は顔輝そのままで、衣ぐらいが独自でどうする?と思ってしまうのである。明兆自体は素晴らしい絵師だが、この点について狩野派の粉本主義ならずとも、日本の絵師の学びの伝統に度々ブログでも違和感を書いて来た。人間を描くなら、他人がイメージし、表現した物から学ぶのではなく、生の人間から直接学ぶべきだろう。独学自己流者の勘は、人形は人形から学ばず写真は写真から学ぶべきではないとも。私は基礎を学ぶ機会を逸したと思っていたが、算数なんてつまらない物が大人になって必要になる訳がない、と思ったのと同様、石膏デッサンもそう思っていたから、結果は変わらなかったのかもしれない。