喝!の表情が面白い、と無邪気に作ってしまった臨済義玄の時と違い、同じ臨済宗でも14派あり、系列が違えば栄西だろうと敬意も払われない、と梅原猛。そういわれてしまうと、座禅一つしたことない私は、渡ろうとした横断歩道の真ん中で、つい立ちすくんでしまうことになる。 しかし、あまり大きな声で言う事ではないし、正直に言ってしまうと身も蓋もないけれど、主張したいことがある訳でもアートを追求したい訳でもなく、快楽のために制作している。そんな人間が作らずにはいられない物を作って、それを観て〝どこからそんな物を持って来たのだ!?”と呆れてもらう。それが私の役割、渡世だと思い込んでいる。 などと今日も今日とて愚にもつかないことを書き、立ちすくんでいる間に、誰が止めてくれないか?と見回しても、ここまで来ると、友情を持って止めてくれていた友人も、遠くから横目で眺めている始末である。おかげで欲望に負け、元寇、すなわちかつてのモンゴル兵の資料を注文してしまった。 ディアギレフはジャン・コクトーに〝私を驚かせてみろ”と言った。自分のしでかした事でいの一番に呆れ、驚いてみたいのはまずは私自身である。