コロナには殆ど関心が無く、世間のああだこうだにも無関心である。良い歳をして人見知りにはマスクもかえって良いくらいの話である。呼吸が苦しくなるほど動かないし。そういう事を言ったり顔をするな、と母は言っていたはずである。 余計なことを考えたりしている時間はない、なんていうのも、それなりに不自然で無くなって来て、かえって真面目にやるべきことに集中しているように聞こえるかもしれない。この逃げ口上?は若いうちには使えない。 夜観る夢は僅かな時間らしいが、ストーリーからキャスティングまで、一体誰が考えているんだ、と思うが、同じように、考えていないつもりでも、どこかで何かやるべきことが、まとまりつつあるような気がする。気のせいと言えなくもないが、こういう予感だけは意外と外れないものである。例えていえば、台所から夕餉の支度の香りが漂って来て、次第にオカズは好物のアレだな?という、あの感じに似ている。 毎日ブログを書いているが、特に書くことがないなら書かなくても良いだろ、という話である。