昨日のブログに書いたように、陰影のない浮世絵が気になり出したのは、九代目團十郎を作った時からだった。 歌舞伎、役者の地位が劇的に向上したのは九代目が、明治天皇を前に展覧歌舞伎を行ってからである。そう思ったら、同時代に展覧落語をやったのが、三遊亭圓朝である。もし九代目の仁木弾正をやるのであれば、高座の蝋燭に照らされた圓朝を作らなければならないだろう。明治の寄席の外観は制作したが、手掛ける寸前まで行った高座の圓朝を作るべきだろう。これまた陰影を無くした第一作が圓朝だという因縁を感じることになる。もちろん圓朝も、フラットな陰影などまるでない写真しか残っていない。これまた私の〝念写”によれば可能である。幸い明治の寄席内部の様子は写真は無くとも、驚異的な記憶力を持って伊藤晴雨が描き残している。当時の高座上には、湯呑みだけではなく、火鉢、鉄瓶まである。そうだ。当時の寄席内部はあそこで撮ろう。と考えていたことを思い出した。

