昨日書いた、オイルプリントについては、頭で止めようと思っているのに好奇心が勝ってしまった。しかし画が出た時点で本当に止めた。その内自分の作品を被写体とし、写真展をするようになり、それならアレがあったではないか、と引っ張りだしたのが、一日だけの99年、翌年2000年のビクトリアリズム展1であった。しかし早すぎた。この絵みたいな物はなんですか?とその出自を理解しないと、目に明かりが灯らない。毎日技法の説明ばかりしていた。そこで技法公開のためにH Pを作った(閉鎖中) それがデジタルの時代と共に反作用で、まさかの古典技法花盛りとなった。そこで実は以前こんなことしてました、と埃をはたいてやったのが、ハスノハナのグループ展であった。周りは女性ばかり、ブロムオイルや雑巾掛けまでいる有様。時代は変わるものである。 オイルプリントが私にもたらせたものは、頭で理解できなくても、やりたければやれ。つまり〝考えるな感じろ”である。それと私の大リーグボール三号たる、現在の陰影を排除した石塚式ビクトリアリズムの遠因となっている。役割は終えた。改良はしたが、私が考えた技法ではないし。 石塚式ピクトリアリズムの何が痛快か、というと、陰影を出さないで撮影し、切り抜いて配するだけなので首のかしげようがなく、やり方を聞かれることもない。オイルプリント初披露時のトラウマを自ら解消させた。