葛飾北斎もそうだが、絵しか残っていない人物は想像で作れるので完成は早い。特に禅とともに頂相(ちんそう、ちんぞう)と呼ばれる僧の肖像画を残す習慣も入って来た。一休の場合は、数体の木造も残されていて、一休の遺髪、髭を植えた穴も開いている。肖像画の傑作、鏑木清方の三遊亭圓朝像と比べても、まったく遜色ないが、清方の昔の思い出、印象を描いたという圓朝像に比べると、絵画と木造の矛盾が少なく、本人を目の前に描いたと思われる。圓朝の時は、写真と画の印象が違うので、清方が有り得ないだろう、と圓朝の性格を深読みし過ぎ、圓朝評を探しては読んだが、どうやら清方は写真より、自らの印象を優先したことを納得した。そう思えば身体のバランスも変である。しかしこれによって表現というものを改めて考えさせられた。とはいうものの、本人に会ったこともない私が制作する場合は、かつてなデフォルメは避けるべきだろう。今のモチーフはタガを外して清々しい。 三十数年通木場の煮込み屋が存続していたなら、今晩辺り、一休の頭部をポケットに入れ飲みに行くところであろう。興味のない人物の頭部を見せ付けられ続けた常連は迷惑だったろう。まあ一休の場合は、ほんとはこんな爺さんだった、とひとしきり盛り上がれたかもしれない。