机は薄目で見ると学習机の古いのに見えるが、天板は楢の一枚板を四枚並べてあり、木目を見なければつなぎ目が判らない。頑丈で重い。いつ頃の物かは判らないが、木屑を固めて家具を作る時代に良い気分である。天板が事務仕事をするというより、粘土仕事をするに充分な広さである。ここまで頑丈である必要はないが。四十年前はコタツであった。コタツと決別するまで何年かかったか、と思ったらホットカーペットとの決別にも時間がかかった。暖房は全体的を暖めるから良くない。眠くなる。 頂いた鍋島緞通を机の下に敷こう。なんとも贅沢ではないか。椅子はオンボロだが、前の持ち主が座敷用に加工したのだろう、重さを分散するように脚に板が付いている。 片付けの苦手な人間はおそらく皆そうだと思うが、とにかく一服が多い。ちょっと何かを移動した、といってはゴロリと横になり、ついどうでも良い物を読んでしまったり、次に飼う金魚について考えたり。繰り返すが今回は適材適所に物を移動しさえすれば良い。 しかし制作に入ってしまえば、イメージの膜に覆われたような、その膜越しに生活をする事になるのだから、娑婆でグウタラも今のうちである。