創作事になると、頭は役に立たないが、身体のどこか肝心な部分が反応し作動してくれる。ところが部屋の片付け、となると、頭では判っていても身体が反応を示さない。 今日は机が来ることが判っているのだから、スムーズに事が運ぶように事前に片付け、ただ置くだけ、とするべきであろう。人はそういうし、私もそう思う。だがそれが出来ない。小学校の通知表に書かれた“掃除の時間、何をしていいか判らずふらふらしています”そのままである。 引っ越し前のブログでは、粘土を入手すると制作に逃げてしまうと、グズグズと数か月、そただ片付けていて、見ている方は一体何をしている、と呆れていただろう。三十数年住んだマンションは、更新料がなかった。しかしそれは長く住む私ともう一家族だけで、出来ればリニューアルして更新料を取って貸したい。たまたま不動産屋でマンシヨン側の意向を聞いた。そこで不動産屋はおそらく後に後悔したであろう一言を口にした。”必要な物だけ持って行ってくれれば後はこちらで処分しますよ。“ 30 年以上家賃を払っていたのだから、それも良いだろう。という訳で、私は最後、マンシヨンの担当者にお暇の挨拶をし、不動産屋に鍵を渡すと、最後の荷物を抱え後ろも見ずにタクシーに乗って“脱出”した。以後一度電話があったが出なかった。何しろそちらがそういったのだから。 おかげで子供の頃の写真アルバム、私が作り撮影したBBキングのサイン入りツアーポスターなど忘れて来たが、取りに引き返す気にはなれなかった。という訳で、身軽になった私である。すでに要片付けとなってしまっているが、あの時と違うのは、室内には必要な物だけがある。つまり単に配置が上手く行っていないだけである。