冷蔵庫の食料もほぼ尽きたし、クリニックにも行かないとならないので、明日には外出しよう。 10月にニューヨークで出版される篠山紀信、男の死だが、死の一週間前、企画者と出版契約を済ませたタクシー車中、三島は、右翼の奴等今に見ていろ、ともらした。右翼を自称する三島の尻馬に乗るだけの連中、その他。中曽根康弘など、政治家、その他訳知り顔の連中に対し、魚屋やヤクザや体操選手の死という、三島本人以外には無意味な(意味がないほど効果的)死を演じて見せ、ザマアミロ、と頭から冷水を浴びせかけてやるつもりだったはずである。それが二の矢であり、三島好みの悲劇を演出した死後の締めとなるはずだったろう。つまりあの事件直後でなければ意味がない。私はそれに対し、ずっと繰り返して来たように三島の無念を想う。 私の周囲の人間は三島と男の死について10年以上こだわって来た私が、ようやくあれが見られる、と喜こんでいると考えているようだが、まったく違う。今頃になってなんてことをしてくれる、と思っている。何しろ、つい先日まで三島にウケるためだけに制作をして来た私は、おそらく少ない情報から推察するに、三島以外には無意味な死が羅列されており、このことに関しては誰よりもわかっているつもりの私としては、三島が喜んでいるところは見たい。だがしかし、三島の思い描いた効果の全くない50年後の公開を考えると私には直視できる気がしない。 被写体のピークを見極める天才篠山紀信、なのになんて大外れなことをやらかしくれる、というのが私の正直なところである。