粘土で着物部分を制作しながら、モニター上でああだこうだやっていると、いっそのこと背景なしでも良いのではないか、と思い始めた。日本画にあるように、フラットな無地の背景でも、被写体に陰影がなければ収まってくれる。 絵では普通でも、同じことを写真でやろうとすると、それこそ見も蓋もないようなことになってしまい、ダイレクトに過ぎてしまう場合が多い。それに加えて日頃“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”“感心されるくらいなら呆れられたい”などとここででほざいているが、生臭い海産物が画面の半分を占める。背景なしくらいで丁度良い気がしてきた。 もっともその後物足りなくなれば、背景を加えれば良い。寺山修司はいっている。『書き換えのきかない過去などない』。この間のグループ展の会期中に、作品を二度差し替えた私である。東京の下町育ちの私は、小学生の低学年の頃から「男は諦めが肝心」。などと見栄をはっていたが、とんだ嘘っぱちで、諦めの良い奴はそんなこといわない。