そもそも浮世絵、日本画に興味が向いたのは、2010年にフリーペーパーの表紙で、九代目市川團十郎を手がけたことによる。いつだったか、たまたま歌舞伎座で仁木弾正を演ずる市川海老蔵丈の目にライトが反射し、私の席からピカッと光って見えたことによる。市川宗家の芸である睨を維持するには目の大きな嫁をもらわない訳にはいかないだろう、などと書いた覚えがある。昔から團十郎に睨まれると風邪をひかない、といわれている。当時インフルエンザが流行していたし、酷い事件も多かった。そこで荒事の十八番、暫のが巨大な姿で、歌舞伎座を覆うようにして、巨大な鎌倉権五郎景政が東京をを睨み倒す、という画が浮んだ。結局、時間と、せっかく造形した九代目の表情が荒事の隈取りに埋没することに耐えられずに、原型がそこなわれない助六にしたが。 『劇聖』といわれた九代目が、明治天皇を前に歌舞伎を披露したおかげで、歌舞伎は、現在につづく地位を得た。当然九代目は浮世絵の題材になる訳だが、それを調べるうち、ほとんど同じ顔だと思っていた浮世絵が、実は、ちゃんと特徴をとらえていることが判ってきた。当時の庶民は、その微妙な違いを見て取っていただろう。興味を持って見始めると、絵師も様々な工夫をこらし、様々な物を込めていたことが判ってきたのであった。 深川江戸資料館の歌舞伎展以降、役半年展示していた九代目像展示も12日までとなった。この九代目は二代目で、きっかけは高村光太郎のエッセイ『団十郎の首』で、世にある團十郎像を、團十郎はあんなに力んでいない、と否定している。確かに舞台上は判らないが、当時の写真を見ると、むしろ力が抜けており、歌舞伎座の朝倉文夫作のようにゴツゴツと武ばっていないのが不思議だったが『団十郎の首』を読んで納得し、2代目を制作したのであった。本日、私の『団十郎の首』を、制作のきっかけを作ってくれた未来の十三代目、市川海老蔵丈に贈った。

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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