某TV局より私の所有している写真を借りたい、と連絡が来た。夢野久作の『ドグラマグラ』は九州帝大が舞台だが、作中の雰囲気を知るために入手したのが昭和9年の医学部卒業アルバムであった。なんという幸運か、それは久作が新聞記者として九大に出入りしていた、まさにその頃の物で、作中人物のモデルの教授の写真が、自筆サイン入りで貼り付けてあった。久作のエッセイだかで名前が書かれた教授も散見する。 結局、当時の九大医学部の雰囲気は充分伝わったものの、夢野久作は大きな柱時計に納めた作品、一体制作したにとどまっている。 ところで、遠藤周作の『海と毒薬』や上坂冬子の『生体解剖事件』の舞台になったのは、このころの九大医学部ではなかったか?事件は墜落したアメリカの爆撃機の搭乗員を、麻酔を効かせたうえとはいえ、代用血液として海水を注入したり、臓器を取り出して、どのくらい生きているか、など、惨な実験を行った事件で、全員死亡させている。そして母校に生体解剖を持ちかけた男が、この年に卒業している。名前が同一の生徒はいたが苗字が違う。そこで東大に勤務する知人に九大の卒業名簿を調べてもらったら、苗字が変わったが、件の男がまさにその男であった。その卒業写真帖の3人の編集委員に名を連ねてもいる。遺族にあたってもなしのつぶてで写真が手に入らない、と連絡が来たわけである。アルバムには当日手術(といって良いのか?)顔を出した教授もサイン入りで貼り付けてある。例の男はというと、戦時の傷により、破傷風で死亡している。戦争となると、人を救う立場の人間でさえ悪魔に転ずるという例であろう。いかに凄惨なイメージな事件だったかというと、捕虜の肝臓を酒の肴に、という噂がたち、裁判にもなっている。