河本の撮影には、主に旧東ドイツの、現在ではお目にかかれない描写のレンズを使っている。元は河童(私の作った)を撮るために入手したものだったが、小さな人形を背景に合成するにあたり、独特の描写が仇となり使えなかった。河本では合成の必要はないので遠慮なく使える。 各レンズは万能ではなく、一芸名人で、ある条件の時にのみ、突然爆走する。それは隣に座る人がカウンターに置いたカメラのモニターを見て違いが判るほどである。時に実景より美しい場合があり、それがたまらない。困ることといえば、突然一人が飛び出す(しかも個性的に)おかげでそれまで撮ってきたものを合わせるため、多くを修正することになる。実に面倒である。本来、飛び出した利かん坊を隊列に収めるべきであろうが、花の背景にオヤジ達が顔も判然としない状態でボヤけているだけなのに、なんだこの鮮やかさは。と結局古参のデータの方をそちらに合わせてしまう。ぼやきながらも、私のイメージする河本に近づいていく結果に。 こんなことを含め、方針も変わって来た。当初、休業の間に河本という昭和の残像のような、かつユニークな店を記録するつもりが、女将さんが元気になってくると、やはり女将さんの笑顔があってこそ。女将さんのカットが増えていき、さらに女将さんを心配し、いたわっているつもりの客の屈託のない笑顔を見ているうち、これはほとんどアイドルとファンの関係ではないか。というところにたどり着いた。きっかけは、河本について話していた良い歳したオヤジが酔っぱらって揉めたのだが、女性の常連が「みんな十歳なのよ。」仕事で子供を相手にしてるだけに実感がこもっている。そして連中を十歳にしているのは女将さんなのだ。以来そのつもりで撮っているのである。