人形を撮影するだけなら大判カメラ、レンズはもう必要ないのですべて処分しよう、と先日まで考えていた。しかし、久しぶりに8×10インチのフィルムを見ていたら、人形を撮影した物は気に入らないが、被写体に大きなカメラで威圧感を与え、じっとしていることを強いる撮影は、独特な写りである。特に私の場合、素人のモデル相手に大型カメラの操作にああだこうだとドタバタし、しまいには茶筒の蓋や手のひらがシャッター代わり。これも被写体に対する一種の駆け引きと考えていた。ミラーレスのカメラが出て、フランジバックの短いライカのレンズが使えるようになり、早々に処分してしまって悔やんでいる人がいるが、大判カメラもいずれ新たな使い道が現れるかどうか。人物撮影用レンズには、プラズマート、エミール・ブッシュのラピッドアプラナートの焦点距離違いで3本、2群2枚のU・ネーリング3本もあれば充分である。これはたいしたレンズではないが、たいしたレンズと撮りたくなるレンズは違う。 珍しいのでライツの大判用ズマール210ミリ、190ミリも残しておいても良い。ヌードを撮影したとき輪郭線のような物が現れ、そういう描写をするレンズもある、と聞いたが、その女性の35ミリのネガをチェックしていたら、単に濃い産毛がそう見えただけだったことが判り笑った。それにしても最近人形作っていないし、来年は人物で写真展を、といっているし、どうも私の動きが怪しい。表層の脳でないところで何か企んでいないだろうか。
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