小説を読むと私の場合、頭の中に常に映像が浮かび続ける。それはかってに浮かぶのであるが、見てきたようなつもりになっているので確信をもって、それを作ってしまう。その間も読み続けていても確信を持っているので間違いに気がつかない。よってほとぼりがさめたカットから修正している。 もう随分昔のことになるが、BBキングのジャパンツアーのポスター用に本人を作ったことがある。私が子供の頃読んでいたロック雑誌では、カントリー歌手といえばジョニー・キャッシュ。ブルース歌手といえばBBキングくらいしか覚えがない。資料として最新のライブビデオを借りたが、大分太って髪も伸び、白髪頭だったが、完成したのは少年時代に見た頃のBBであった。ところが人にいわれるまで私はそれに気がつかなかった。この信じがたいような体験で、私は目の前の物より、頭の中のイメージが優先してしまうことを知った。子供の頃から何かを参考にしながら描いたり作ったりが嫌いであった。頭の中のものを取り出すのが面白いので、既存の物を写してもつまらないと考えていたので、ジャズやブルースのシリーズにしても架空の人ばかりを制作し、実在の人物を中心に制作したのは、シリーズ最後の個展の時である。今でこそ実在した人物ばかり作り、客観性を維持する方法を身につけたが、BBキングを制作した頃は、まだ自分の正体が良く分かっていなかった。 この体験のせいであろう、荒俣宏さんが書かれた、白人が大きな帆船で島にたどり着くが、原住民は白人や大きな船など見たことがないので、島の中を歩いていても、白人の存在を知覚できない、という話が無性に好きなのである。そして私はこのことから、この逆のことも起こり得る、ということに気がついた。つまり人がこう見える、こうなっていることを知っている、ということを利用すると、自動的にそう見えてしまう、という仕組みである。原住民と反対に、様々なことを見聞きしている人ほど、肝心なことを押さえておくと、そう見えてしまうのである。このことは私の創作上の秘密なのだが、感覚的なことなので、言葉にしても只今記したこと以上のことはなにもない。

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