都営地下鉄駅に置かれたフリーペーパー『中央公論Adagio』 で九代目團十郎を作った。これは私の出した企画が通ったものである。背景の歌舞伎座が改修工事目前であったことと、当時インフルエンザが全国的に猛威をふるっており、江戸の昔から團十郎に睨まれると一年間風邪をひかないといわれていたからである。世相的にも暗いことが多く、歌舞伎座の屋根の上で、『暫』の扮装で東京を睨み倒し、様々な悪を切り捨てて欲しかった。 写真資料として決定的なコロタイプによる写真帖『舞臺之團十郎』(舞臺之團十郎』刊行會)大正12年 を江東区から借りて複写することができた。この写真集を眺めていて不思議だったのは、芸談、目撃談で知っていた不動明王と同じ陰陽を表現した團十郎の目(ただの寄り目ではない)が描写されていないことであった。坪内逍遥が解説で、実際の團十郎の目はこんなものではない、といっていた。そこで仕事で十二代目を撮影されている方ならご存知か、とメールで質問してみたら、なんと十二代目に直接電話で訊いていただいてしまった。するとあの睨みは短時間しか保てず、当時の長時間の露光をようする写真感材では無理だったのだろう、というお答えであった。 結局特集決定が遅れ、配布後4、5日で歌舞伎座の解体工事が始まる、という結果になった。扮装を『暫』から『助六』に変えたのは、制作した面相が隈取に埋もれてしまうこともあったが、最終公演で十二代目が助六をやるからであった。名残惜しんで歌舞伎座を取り囲む群衆は、東銀座駅で入手した特集号をみんな手にしているだろうと思ったら一人も持っていない。駅員に訊くと場所がないので駅員室に置きっぱなしだという。一番置くべき駅に置いていないのだから話にならない。 ところでHP開設十周年だったか、“私が作っているのは誰でしょうクイズで”当てた方に何枚か小さなプリントを差し上げたが、後は知人の舞台俳優に贈り。あとの2枚は大きめにプリントして、資料探しに古書店を回っていて、九代目の資料を探しまわっていると勉強熱心さを耳にしていた海老蔵丈(私は歌舞伎座で、目から光線を放つのを見た)間接的とはいえ、私の質問に答えていただいた十二代目に差し上げるつもりであった。だがしかし、アダージョ完成後も九代目熱が冷めなかった私は、私の想像で表情を創作したことが、だんだん大それたことをしてしまったという気になってきて、きっかけを失い、実はまだ手元にあるのである。二人目の孫ができるらしい。その時にでもお送りしたい。