鏡花がモデルにした神社は海を望んでムード満点で、常夜燈に灯をともす翁役の柳田國男を立たせるのが今から楽しみである。実際の灯篭はかなり大きく、柳田では台がないと届きそうにないが、異界の翁である。そういうことを気にしてはいけない。 本日より柳田國男にとりかかるはずが、地形に関して解釈の誤りに気づき、一日修正していた。草むしりをして石段を取り除いて、と実に厄介である。デジタルならどうとでもなる、と思う人がいるが、そう簡単にはいかない。私のように、天候を変えたり、街をそっくり田畑に代えたりしなければならない場合(鏡花がそう書いていればしかたがない) 肝腎なのは、自分の中にある記憶の蓄積である。つまらないことに限って、意識しないうちに記憶してしまう私のタチが、“見てきたような嘘”を創作することに役立っている。もっともハードデイスクの容量は限られていて、母の誕生日をようやく覚えたと思ったら5日違っていた。  房総では苔むした石段を随分撮影してきた。冒頭、人間に腕を折られた河童が、鎮守の森の姫神様に復讐を頼みに石段を上がる。『しょぼけ返って、蠢くたびに、啾々(しゅうしゅう)と陰気に幽(かすか)な音がする。腐れた肺が呼吸(いき)に鳴るのか――ぐしょ濡れで裾から雫が垂れるから、骨を絞る響ひびきであろう――傘の古骨が風に軋むように、啾々と不気味に聞こえる。』異界への入り口である石段は重要である。 それにしても潔癖症の鏡花は、こんな場面を書く場合、どんな顔をしていたのであろう。原稿用紙をいつものように清めたことは間違いないが。

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