あれはちょうど浮世絵、日本画にあって、写真や西洋画にない自由を阻害しているのは陰影だ、と考え陰影排除に試行錯誤していた頃だろう。テレビドラマで葛飾北斎が、西洋画を見て「そのまんま描いていやがる」といった。つまりそれまでの日本人は見たまま描かなかった。 私は小学3年の時、水面に映るボートの影を描いて「なんでこんなもの描いた」と教師にいわれた。〝だってそうなっている‘’  と思った。しかし昔の日本人は物の影が見えていても誰も描かなかった。日本人には〝事実より大事なことがあるのか‘’ 遺された頂相に神格化か理想化かなのか創作を加えてしまう日本人。事実より大事なことがあるのか。 私は頂相を残した本人や描いた人物を思うとその思いを尊重せずにはいられない。ただその代わり。そこをクリアしたならば。人は頭に浮かんだかなものを作るように出来ているそうである。 半ズボンの鍵っ子の私が畳に腹ばいになり百科事典の彫刻のリアリズムに飽くことなく眺めたのは西洋彫刻ではなく、日本の頂相彫刻の数々だったことは、今思うとシナリオの導入部だった気がする。