森女を作ること自体もそうだが、よりによって無表情で妖しげな霊力の持ち主にするとは思わなかった。それもこれも一休の『狂雲集』を真に受けると室町時代の老人にあるまじき精力、88歳の死の前年まで事に及んでいるような描写さえある。森女が住吉大社の宮司の親類らしいという辺りですべて森女の霊力の賜物というイメージに。森女の実態がほとんど不明なことも拍車をかけた。 当初鼓は本物を撮影し、森女のかたわらに配すつもりでいたが、盲目に加えて霊能力者の表現として黒目を描かないことを検討していて、あまりに異界じみた表情に、鼓を持たせ、奏者の表情ということにした。 常に当初の予定と違うところに着地するが、私も草木同様自然物、風に吹かれなびきもする。禅をモチーフに及んだこともそんなところが作用しているのではないか、と考えてみたり。
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